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ものつくりにん(ma-mac)の生活

鹿児島に行ってみよう~っと(その3)!

鹿児島の旅、3日目(最終日)。

砂風呂の入浴がついたプランだったので、朝5時に起きて誰もいない砂風呂に入って指宿体験~。
写真はホテルのHPより。


この日も晴れて観光日和です。
海もきれいにみえてます。
撮り鉄。さあ、出発~。

9:20 発


9:40 九州電力山川発電所 466キロ
ここは山川発電所といって、九州では、大岳発電所、八丁原発電所についで3番目、全国では7番目の地熱発電所になります。
おなじ敷地内に山川発電所展示室があり、田園風景がステージになったかわいいシアターや、映像を交えて地熱発電のしくみをわかりやすく紹介してくれます。ここには12本の蒸気井があり、最長2500mの深さから地熱を取り出し、3万キロワットの電気をつくりだしているそうです。


予約無しの個人客にも施設内の見学を説明付きでしていただきました。
ありがとうございます。見学の記念品までいただいて~。


施設の駐車場からは変わった形の山が見えました。
10:20 発


10:35 長崎鼻 {/cars_red/ }473キロ
ここは長崎鼻といって薩摩半島最南端の岬です。富士山に似た開聞岳の姿が一番美しいと言われている場所だそうで。
また、長崎鼻は浦島太郎伝説の発祥の地としても知られていて、浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ「竜宮鼻」という別名があるそうです。
駐車場(土産店や長崎鼻パーキングガーデンの無料P有)から薩摩長崎鼻灯台までの道中には乙姫様を祭った竜宮神社があります。


錦江湾(鹿児島湾)の出入口にあたる長崎鼻には海の航行を見守る白亜の薩摩長崎鼻灯台が立っています。
建造は、昭和32年。高さ11mの灯台頂部からは、25km先の海上まで照らし、錦江湾に出入りする船や、東シナ海を航行する船の道しるべとしての役割を果たしています。
灯台下の階段を下りると、火山岩の磯がさらに続き、歩いていくことができます。


この辺の砂浜にはウミガメが産卵に来ることでも知られているそうです。
さきほどの浦島太郎伝説もここからきているんでしょうかねえ。


ここは育つ植物も南国です。
ハイビスカスやアコウの木もすくすくと元気よく育っています。


長崎鼻に行くとお土産屋が数店営業しています。
ここだけなんだか昭和レトロな雰囲気。
たぶん、何十年も同じ空気感。
亀の壁掛けの飾りようなものや大きなアメジストの置物など、誰が買っていくんだろう的なお土産物が多数店頭に並んでました。
ワタクシはおとなしく、パッションフルーツの濃縮果汁(瓶入り)を購入~。


クルマで2~3分戻って観光農園へ。
ビニールハウスの中に入ることはできませんでしたが、入口からはマンゴー、パッションフルーツがたくさんなっている様子を観ることができました。甘い香りがしてきます。


せっかくなので、南国の記念にフレッシュジュース。
色が似ていますが(色はほとんど同じ、味はもちろん違う)、手前がパッションフルーツ:300円、奥がマンゴー:500円です。
個人的にはパッションフルーツかと。
11:50 発


12:30 特攻おばさんの店 知覧茶屋508キロ
とうとう今回の最大の目的地、知覧までやってきました。
まずはご飯~
特攻おばさんのお店として昭和63年にオープンした知覧茶屋は、特攻平和公園の駐車場のまんなかにあります。
店内には「特攻の母」とよばれ、親われた鳥浜とめの資料等も展示してあります。
メニューも豊富でした~。


ここ知覧はお茶の産地でもあり、指宿から知覧までの道路沿いにも幾つもの茶畑が広がっていて、嬉野や東彼杵の風景に似ていました。
なので、昼食は知覧茶そば。とんこつラーメンにも惹かれましたが・・・
でてきたお茶もきれいな緑色で落ち着きます


さあ、今回の最後の見学地、知覧特攻平和会館へ。
ここは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に編成された大日本帝国陸軍の特別攻撃隊に関する資料を展示する施設です。
以前、小泉前首相が、ここを訪れて館内の資料をみて涙を流していたシーンが何回も流れていたのがずっと頭から離れなくって、いつか行ってみたい、その真意を自分の眼で見てみたいと思っていました。
小泉前首相の涙に政治的な意図があったのか、パフォーマンス的な要素があったのか(当時、かなりのバッシングもあったような)はわかりませんが、館内に入り、特攻に命を授けた、若人たちの遺書も多数展示されており、観覧者の中にも実際に涙を浮かべながら展示物をご覧になられている方々がたくさんいらっしゃってもらい泣きしそうでした。


館内は写真撮影禁止なので借り物です。
左は、零戦。昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル,水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町が昭和55年6月引き揚げたものです。
 機体は35年間海中にあり,無残な姿ですが,往時をしのぶ姿をとどめています。機体は旧海軍の52丙型で大戦末期の改良型で,20ミリ機関砲2門,13ミリ機関銃2挺を装備しています。

館内には、遺書を含め、軍服、戦闘機など、戦時中の様子を知ることができるたくさんの資料が展示してあります。
特攻隊(神風特別攻撃隊)に参加した人物も検索できるようになっており、長崎県出身の方も多数いらっしゃいました。波佐見町の方も1名おられて驚きました。本当にご冥福をお祈りいたします。


当時の記録を残した写真も多数展示してありますが、悲しくてじっくりと観ることができませんでした。
日本がもう負けるとわかっていたのに「特攻」というかたちで少しでも日本の力も見せようとする戦法。
彼らは『志願=死』であっただろうに、そのような生き方を選択したのでしょうか。
いろいろな背景が人間の思考に影響を与え、想像もつかない現実と向かい合ったとき、そのときに最善と考えた末のことなのでしょうか。
この平和記念館を見学して、いままでこのことをあまり知らなかった自分が恥ずかしくなりました。なぜ今日の日本があるのかを少し考えてみようかなっと思いました。


このことに関連して、知覧特攻隊の話が石原慎太郎氏の脚本で映画にもなっています。
2007年5月12日に公開されたこの映画は石原慎太郎が制作総指揮・脚本を手がけ、総制作費は18億円!。
主要キャストに徳重聡や窪塚洋介などを起用し、役所広司の息子・橋本一郎のデビュー作ともなったらしいけど、かなりの酷評もあったようで。
でも、知覧の歴史的背景を知る上では観ていて損はしないと思います。私も観ました。
この映画で実寸大に精巧に製作された一式戦闘機『隼』3型甲(キ43-甲)も記念館に展示してありました。

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今回の旅では、1日目に『芸術』、2日目に『自然』、3日目に『歴史』を知ることができました。
いろんなことを感じた旅でしたが、そこからまた、いろんな創作意欲やアイデア、作品のヒントが浮かんでくるような感じがしました。やはり、旅(たび)は、気分転換や気持ちの切り替え、新しい発見などなど、いろんな出会いをもたらしてくれます。これからも時間を見つけて旅に出掛けようと思いまーす。ということでまた。

21:00 大村 890キロ

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