ダケダワイナリーから歩いて約15分。下りだからよかったものの、暑かった~。
橋からJR奥羽本線「茂吉記念館前」駅のプラットホームが見えました。無人駅で駅舎はないようです。
歌人であり、精神科医であった斎藤茂吉の記念館で、館内には斉藤茂吉が残した業績に関連する資料や、斉藤の生活を伝える書画などが展示されています。
斉藤茂吉については、アララギの歌人であり、小説家 北杜夫の父であることくらしか知らなかったのですが(汗)、ここ上山市の出身だったのですね。長男の茂太氏も医師であり、次男である北杜夫も医師であり、奥さまがなかなか個性の強い方であったこと・・・などなどわかりましたが、全国のアララギ系結社が発行している雑誌が紹介されているコーナーがあり、相棒の実家にたくさん置いてあった雑誌を見つけました。亡くなった相棒の祖母は短歌が趣味だったようで、そのアララギ系結社の1つに所属していたようです。
名月荘まではさすがにタクシーを呼びました。タケダワイナリーまで送って下さった運転手さんが来られました。
橋からJR奥羽本線「茂吉記念館前」駅のプラットホームが見えました。無人駅で駅舎はないようです。
歌人であり、精神科医であった斎藤茂吉の記念館で、館内には斉藤茂吉が残した業績に関連する資料や、斉藤の生活を伝える書画などが展示されています。
斉藤茂吉については、アララギの歌人であり、小説家 北杜夫の父であることくらしか知らなかったのですが(汗)、ここ上山市の出身だったのですね。長男の茂太氏も医師であり、次男である北杜夫も医師であり、奥さまがなかなか個性の強い方であったこと・・・などなどわかりましたが、全国のアララギ系結社が発行している雑誌が紹介されているコーナーがあり、相棒の実家にたくさん置いてあった雑誌を見つけました。亡くなった相棒の祖母は短歌が趣味だったようで、そのアララギ系結社の1つに所属していたようです。
名月荘まではさすがにタクシーを呼びました。タケダワイナリーまで送って下さった運転手さんが来られました。