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せっせと生活、ときどき読書

鴎外先生のこと

鴎外没後100年・・。

昨日の読売新聞に

森鴎外宛の書簡が見つかったという記事が

掲載されていました。

400点も!

そのほとんどが森茉莉さんの離婚した夫、

山田珠樹氏の遺族のもとで保管されていたらしいのですが、

実の娘の茉莉さんではなく

赤の他人の娘婿のもとにあったというのも不思議です。

いかなる経緯か?

まぁそれはそれとして。

鴎外の作家としての名声は疑うべくもありませんが、

軍医としては責任を問われかねない大チョンボもあったというお話。




かつてよりコメを主食とする我が国において、

「脚気」は悩ましい問題でありました。

特に明治期の軍隊において

その流行が問題視されてからは本格的に解決が図られました。


軍隊においては白米は、

経済的に恵まれなかった青年の鼻先にぶらさげるニンジン

だったわけであります。


この軍隊における脚気の流行に終止符をうたんとしたのが

高木兼寛(たかぎかねひろ・東京慈恵会医科大の創立者の一人)。




薩摩藩出身の帝国海軍医官です。

留学先はロンドンの聖トーマス病院。


帰国した高木が直面したのが遠洋航海において

猛威をふるう脚気でした。


「欧米の軍艦では脚気は発生していないのに?」

と考えた高木は

いちはやく脚気の原因が食事にあると判断し

その改善にとりかかりました。


すなわち

白米に大麦を混ぜ、

糖質に偏りがちであった従来の献立を

タンパク質を多く含むものに変えたところ、

軍艦「筑波」287日の航海中

333人のうち脚気患者14人、

死者0という劇的な結果。

これをみて海軍はただちに高木案に従い

麦飯を柱とした標準食を制定し、

脚気問題は海軍から一掃されたのであります。




ところが。陸軍医官たち。

ドイツ留学派はまるでこの成果に聞く耳持たなかった。

「脚気は伝染病」とひたすら主張した。

結果、日清戦争において陸軍の脚気による死者は4064人。

さらに日露戦争では2万7800人にもなります。

日露戦争前には鴎外が白米食をテストして問題なし、と

報告を上げています。

その後、鴎外は陸軍軍医総監にまで出世しています。

どんな気持ちで総監の椅子に座っていたか

は知るべくもありませんが

(書き残していたりするのでしょうか?不勉強でわかりません。ごめんなさい)

原稿用紙に向かうとき、

そこでは誰への忖度もなく

自由な気持ちで創造の翼をはばたかせたのだ

と思いたい。


長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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