この短編も
そう、
こんな暑い日の一幕。
「私」は同郷人の懇親会で、柳橋の亀清へ出向きます。
亀清の記述はこんな風です。
「暑い日の夕方である。門から玄
関までの間に敷き詰めた御影石の
上には一面の打水がしてあって、
門の内外には人力車がもうぎっし
り置き並べてある。車夫は白い肌
衣(はだぎ)一枚のもあれば、上
半身全く裸裎(らてい)にしてい
るのもある。手拭で体を拭いて絞
っているのを見れば、汗はざっと
音を立てて地上にそそぐ。自動車
は門外の向側に停めてあって
技手は襟をくつろげて扇をばたば
た使っている。」
二階に上がると戸は開け放たれており、
国技館の電燈がまばゆいように半空に赫(かがや)いています。
この辺の記述、いいですねー🎆
「私」は友人からこの席で余興が行われることを、きかされます。
余興は浪花節、赤穂義士討ち入りで、
これは幹事の畑陸軍少将の御趣味です。
嗚呼・・・、
逃げようにも逃げられない
ながーいながーい時間・・・
ですが、ようやく終わりの時が訪れます。
このときの場面。
「ようよう物語と同じように節を
附けた告別の詞(ことば)が、秋
水の口から出た。前列の中央に胡
坐(あぐら)をかいていた畑を始
として一同拍手した。私はこの時
鎖(くさり)を断たれた囚人の歓
喜を以て、共に拍手した。」
浪花節が終わるまでの長い長い時間を耐え忍んだ「私」は、
控えの間に戻る廊下で旧知の年増芸者と廊下で出くわします。
その場面。
「私は遅れて附いて行く時、廊下
で鼠頭魚(きす・芸者のあだな)
に出逢った。
『大変ね。』と女は云った。
『何が』と真面目な顔をして私は
問いかえした。
『でも』と云ったきり、噴き出し
そうになったのを我慢するらしい
顔をして、
女は摩(す)れ違った。」
この辺も実に上手いですね。
あーあ、あのひと、 どう見積もっても浪花節なんか好きじゃなさそうなのに。 無理しちゃって。 なんだか眠そう。
あ、終わった、あ、あんなに拍手してる。
バッカみたい。やだやだ、可笑しくなってきちゃった。
という気持ちを
「大変ね。」という言葉に込める芸者・・・
な・の・に、
鹿爪らしく「何が?」とか、
聞き返さないでほしいわよ、
その辺、かるーく返してほしいのにさ、
あー可笑しい、もう我慢できない、噴出しちゃう、
とこんな気持ちでしょうか。
「でも」の後、
鼠頭魚(きす)は何と続けたかったのでしょう。
それについては鴎外は触れていません。
その後また一転あって、
「私」は表現者としての
自らの存在について煩悶します。
明治の文豪の筆にかかれば、
わずか7ページの短編は
夏の風物詩ではおわらないのです。
お読みいただいてありがとうございました。
文中の柳橋の亀清はその後亀清楼と名を改め、
いまでは廃業、
看板だけが残っています。
↑パンフレットに載っていた
昭和36年の柳橋周辺です。
隅田川から両国をのぞんでも
もうビルが邪魔をして国技館も見えないのでは、と思われます。