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生きるということ

2021-07-10 16:11:00 | 日記
生きるということは難しい、だが命がある限りは生きていたい。

自殺が一番いけない、如何なる理由でもそれは
逃げだから。

やはり自分の哲学、生き甲斐、夢、娯楽、その他の生きるという喜びがなければ人間は簡単に死ぬ。

まあ、姉の娘(姪)が去る6月16日(水)に自宅のクローゼットで首吊り自殺しているのを姪の夫が発見した。

既にこときれており、遺書も見つかった。
内容は分からないが両親にお詫びを入れたとかは間接的に母からは聞いてはいるが詳細は分からない。

まあ、遠因は自分の母を精神病院に入れたはいいが、その後早く起きて父親の弁当を作らなければならないとか、様々な責務を今迄は母がやっていたが自分に負担が掛かると如何に大変か分かったのかも知れず、耐えきれなくなりついに自殺を決意したかと思う。

無趣味で貯金することしか取り柄はなく人間的にも暗い部類に入り何かに怯えていたのは昨年からも感じてはいたしヤバいのも分かってはいたが、まさか自殺するとは思わなかった。

勇気いるし、自分だけではなく周りも巻き込むのを分からなかったのか?

姪とは言え面識もないし会話はまともにしたことない。

向こうもオレなんて眼中にない血の繋がった他人的存在だったと思う。

全ては昨年姉が交通事故に遭ってから運命の歯車が狂い始めたのは明らかな事実ではあるが、そこから巻き返せなかったのが痛い。

昨今はコロナウイルスで長く病院に入れて置くわけには行かず、中途半端なままで退院させたのも狂いが生じた原因である。

結局コロナウイルスって全てを破壊してるな、間接的にそれがあったのもあるがもう少し加療が必要だったのだ、頭の怪我だからだ。

あの後も姉が「あの時死んでたら良かった」みたいなことを言っていたが、もし死んでいたら結局負担は娘にかかり同じ結果?(遅かれ早かれ)になっていたと思う。

姉も無趣味であるし、暗い、すぐに挫けてしまう。

昨日も全く生気のない声で電話して来たが端々に「死にたい」「辛い」などと言っており脳だけでなく鬱病まで発症している。(あまり脳の怪我は関係ないだろうが)

所謂心が死んでいる、聞いていていたたまれなくなった。

オレはまだ死ねないとか見たい夢や未来、そして自らの人生哲学があるから容易には死なないし死ねない。

まあ、例外的には事故に遭うか、死刑にされるか凶悪犯に殺されるかだが、事故はともかく下の二つはまあ起きない。

殺人は運が悪ければ犠牲になるかも知れない
まあこれは仕方ない。

でもそんな危険なところに身を置かなければまずは起きない。

死刑は重い犯罪をしない限りはならないし、なる気もない。

事故は未然に防げる、左右前後、上と下に気をつけたりスピード違反とか信号無視とかに気をつけていたら大丈夫である。

人生哲学は大切である、これがあるとないとで人生は180度変わる。

ない人は周りに流されやすく厳しい現実を乗り越える力がない。

だから挫けてしまったり追い詰めて精神を病む
無趣味と言うのもいけない。

何かに興味がなければ人生は虚しい、同じ日でもかなり違う。

一喜一憂する趣味があればなお良し、同じ日を無駄に過ごすなかれ!

先に希望が持てないのではなく目標がないから先を悲観するのである。

まあ、いつもにも増して人生とはとか命の大切さを書いてはいるが、知っている人に自殺者が出たら黙っては居られない。

何も感じない鈍感な人間なんていない、いるとしたら余程の冷酷か、阿呆である。

生前そんな付き合いがなかったオレでも堪えるのに、親であった姉は余計に自分を責めていると思う。

「自分の教育が悪かった」と。

しかしこれは父親に当たる義兄も子育てはやらず仕事だけやっていて全ての娘の教育を姉に押し付けたのも原因である。

まあ、義兄の母が考えの古い人で、男は働けばそれで良いという教え方をしていたからである
今はそんな時代ではないのに、「戦前かよ!」と言いたくなる。

まあ、そんなこんなで結果は最悪だったわけだが実際のところの真実は姪が向こうに持って行ったから真相は分からない。

しかし自分よりも下の、生まれた時から知っている娘が死ぬと堪える。

面識ある、なしに関わらず、まあこれだけ周りに影響を及ぼすなど姪は思いもしなかったのであろうが。

一番堪えるのは親だと言うのが分からなかったのか、遺書を書いてもそれは言い訳に過ぎない
周りの人の迷惑を顧みず自殺したのだから。

結婚は一年少しで、先に死なれた夫も少なからずショックを受けている。

第一発見者だけに…。

オレも20そこらの時に自殺未遂をしかけたが母が泣いて止めるのでやめて精神科の受診に行った。

まあ、あそこで死んでいたらここでブログを書くこともないし、良い事や悪い事や悲しい事に出会えなかった。

まあ、具体的に書いていたら長くなるから割愛するが色々あった。

今は心は落ち着いている、少しの事では動じなくなっている。

昔は吹けば飛ぶような存在で、儚げな雰囲気すらあったのに今ではそれを感じないくらいになった。

やはり色々学んだりこれだと言う人間哲学に出会ったり、様々な精神的鍛錬をしていたからではないかと思う。

だから殊更命は大切であり、明日生きるための今日を大切にしている。

まあ、周りからは「猫みたいな感じ」とか言われてはいるが、元から気ままでいたい気質があるから仕方ない。

でも人を思いやる心は昔よりはかなりある、これだけは言える。

体の傷は治せるが壊れた心を治すのは難しい
こればかりは本人の頑張り次第だからである。

間違っても姉には娘の後追い自殺だけはして欲しくない。

何のための人生だか分からなくなるからである
今はそれを祈るのみである。

みんな生きるのには意味がある、意味がない人生などない!

『萍のような人生は儚い夢』でないことをひたすらに祈る。




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