創作と言うものはエンターテイメントだから
楽しくなければならない。
時々Facebookで流れる漫画の予告はワル共に両親を殺され弟を廃人にされた少年が復讐を誓うもその力がなく、元日本陸軍の部隊に伝わる『人を完全に殺す方法教えたろか?』と言う老人の元少年は復讐のためにその方法を教わる。
なんか昔見た洋画の『ベスト・キッド』(1984年)に似ている。
あの作品は弱いところを見せて恥をかいた少年ダニエル(ラルフ・マッチオ)が、老人ミヤギ(パット・モリタ)に空手を本格的に学び、バカにしていた連中を空手で見返すと言う話しだが。
(なにしろ昔の映画なのでうろ覚え)
基本的には何ら変わりはない、見返すか、殺して復讐するかの違いだ。
老人に教えを乞うのはまんま同じである。
それが武闘か殺人術の違いだが。
そんな復讐の果てに何があるのか?果たしても死んだ両親は帰っては来ず、廃人になった弟が元通りになるはずなどないのに、不毛すぎる。
こんなのが最近の流行りなのか?
もう一方は男共にレイプされた娘がそれを苦にして自殺したが父が法廷で訴えても加害者側は「法は権力に味方する」とか「寧ろ被害者はこっち、息子の未来をどうしてくれるのか?」と全く謝罪すらせず無反省で開き直って寧ろ被害者である娘の父が悪いように言われる。
(これは実際にもあり得る、被害者側の方が損をするのは度々で法は権力に味方すると言うのは強ち間違いではない)
結局は加害者側は無反省、被害者側の父は全く納得など行かない、法的にはもう無理、そしてそんな父が選んだのは理不尽なレイプにより自殺の道を選んだ娘の加害者に対しての復讐であった。無論殺しも辞さない。
何のことはない、さっきの少年の復讐話の大人版である。
てっきり赤井英和が主演した『人間・失格』のような話かと思ったが調べると全くの違う話で
復讐は同じだが理由があったのといじめのやり方がリアルだったのが違う面である。
まあ、『家なき子』『家なき子2』『明日ママがいない』の野島伸司が脚本で、描写は野島テイスト満載だったが。
まあ、大人版の奴は寧ろ昭和の時代に大人気を誇った人気時代劇『必殺シリーズ』に近い。
そう、現代の必殺である。何の新味もない、まあ最近向きにはしてあるのだろうが自分で仕置きするのはまんま必殺だから。
少女漫画に目をやればいじめ系漫画が流行っている。
まあ、編集者がこんなテイストでなきゃ今は売れないとかなんとか言っているので他の企画は通らないのだろう。
まあ、何とも今の時代の陰鬱さや深い闇を感じて滅入ってしまう。
こんなものを見て誰が喜ぶのか?興味本位ならこんな作品はデビッド・リンチの『エレファント・マン』と何ら変わりのないフリークである
あれは感動作品ではなくフリークである。
カラクリがわかれば何ら新しい面はなくこんなのが今のメインストリートなのか?と思う。
全く以て遺憾である、日本人は所詮このパターンにハマれば抜け出せない。
変わったことをやろうとすれば異端児扱いされる。
だからと言ってオレはそんな作品は見たくないし見たいとも思わない。
確かに日本は加害者大国なのは交通事故で人を轢き殺しながらも重い刑が下らない飯塚幸三を見れば分かる。上級市民は人殺ししても重い刑は下らないと言うのを。
まあ、下も似たようなもので加害者側が開き直るのは屡々でしかも無反省である。
まあ、そんな鬱憤晴らしのためにあんな漫画がメインストリートとして許可されるんだろうな
需要があるから。
でもオレ個人としてはそんなものは見たくない
なんなら世の中を滅茶苦茶にしたれ的な荒唐無稽で笑い飛ばすようなものを書きたい。
手段は選ばない、出鱈目、インチキ、詐欺師でも良いじゃないか、問題児?歓迎だ。
『サクラ大戦3』でも本来なら犯罪者で懲役二千年とか言われているロベリア・カルリーニ(cv井上喜久子)を巴里華撃団に入れようと支配人で司令のグラン・マが思いつく、朝の新聞を読んで。
勿論誇り高い貴族の娘グリシーヌ・ブルーメール(cv島津冴子)は猛反対したが当たり前だ。
犯罪人を仲間にするなど正気の沙汰ではない。
しかし勝つためなら手段は選んでいられないグラン・マは「とにかく会わないとわからないよ」と言い、大神一郎(cv陶山章央)やエリカ・フォンティーヌ(cv日髙のり子)、グリシーヌ、コクリコ(cv小桜エツコ)をサンテ刑務所に向かわせる。
まあ、そこではトラブルがあるのだが、詳細は割愛する、ゲームやって貰った方が早いから。
まあ、何とか入れることには成功するがロベリアはやはり問題の多い一筋縄では行かない奴だった。(決して悪い人間と言う訳ではないが生きる術で犯罪に手を染めた)
まあ、広井王子も全盛期は滅茶苦茶やってたのが分かる。
今はその勇者すらいない、いや、挑みたくないのか?
まあ、広井王子の中では「もうサクラ大戦は作らない、終わった話だから」と言う趣旨のインタビューがあった。
でもファンにとっては終わった物語ではない。
熱心なファンは公式を凌駕する物語を作り上げたのだから。
サクラ革命も強ち失敗作ではなく、新しい可能性を示してくれた作品だと思う。
サクラ大戦や新サクラ大戦みたいに霊子甲冑や霊子戦闘機に乗り込むのではなく、自らが鎧を纏うような霊子ドレスという一種の鎧を纏った乙女達が降鬼(正体は人間)を元に戻すべく斬り祓うという話である。
設定やストーリーは合格だったがゲームとしてはイマイチだっただけである。
そのイマイチ面をクリアすればヒットすると思う。
まあ、ゲームも漫画も楽しんでナンボ、そしてマジになることなくゆっくりやれたらと思う。
もしサクラ革命が駄作なら、「結局被害者出たじゃないか」になってしまうが誰も被害者にはならなかった。
山田康雄(1932-1995)の持論である「幾ら正義を名乗っても戦争は戦争、殺し合いに過ぎない」と言うのが人間の本質だがそれを犠牲者なしにやれたのはサクラ革命の功績であり、もっと認められる作品である。
やるならもっと深いものにすればと思ったが、日本人にドストエフスキーやトルストイは理解出来ないし、ダンテの『神曲』も誰も理解すらしない、いや出来ない。
まあ、お堅い話は抜きにしてエンターテイメントの定義は楽しむことだと思う。
不毛な復讐にそれは感じないしオチが『仮面ライダーBLACK』みたいに勝っても虚しいならば哀しさしか残らないからである。
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