夜桜
映画「ニッポン無責任時代」や「スーダラ節」の歌などで、日本中に笑いを振りまいたクレージーキャッツのメンバーで、俳優の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、東京都内の病院で呼吸不全のため亡くなった。80歳だった。
告別式は故人の意向により、近親者のみで行う。連絡先は渋谷区神宮前4の2の12のワタナベエンターテインメント。
三重県にある浄土真宗の寺の三男に生まれ、11歳で上京。東洋大学卒業後、いくつかのバンドを経て、ハナ肇さん率いるクレージーキャッツに参加。ハナさんや谷啓さんらとともに主要メンバーとして、斬新な音楽コントを演じ、注目された。
1959年に始まったバラエティー番組「おとなの漫画」(フジテレビ系)、61年の「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)など、テレビでグループの人気が爆発。
破竹の勢いに乗って製作された「無責任」シリーズや「日本一」シリーズなどの映画では、高度経済成長を風刺するような軽薄なサラリーマン役を演じ、同年代から圧倒的な支持を集め、60年代の日本喜劇を引っ張った。
また、主題歌の「スーダラ節」「ハイそれまでヨ」などから、「わかっちゃいるけどやめられない」などの流行語が生まれたほか、「お呼びでない」などのせりふで日本中から愛される存在となった。
70年代以降は演技派への転身を図り、渋い脇役で活躍。86年には木下恵介監督「新・喜びも悲しみも幾年月」で日本アカデミー助演男優賞を受賞。90年代に入っても、数多くの番組やCM、映画に出演していた。6月公開予定の映画「舞妓(まいこ)Haaaan!!!!」が最後の仕事となった。93年に紫綬褒章を受章。
(本文とは無関係)
昨晩(24日) 親しい友人のピーナから電話があり、
「シガツ ノ マンナカ、アコ、ピリピン、カエルヨ!」
「ソノマエニ、オミセ、カオダシテ!」と言う内容であった。
その彼女とは、何ヶ月もあっていなかったし、フィリピンに行った際は、
必ず、家に泊めてもらったり、ホームパーティーをしたり、彼女の弟たちに
必ず、夜のアテンドなど良く世話になっているので遊びに行くことにした。
店は暇らしく、客のいりは少ない。
彼女とは、彼女から紹介してもらったイトコの話や、親兄弟の話をしてくつろいでいた。
ヘルプがつき、話題がイミ婚の話題になり、店に在籍しているババエたちの2~3割りが相手を探しているようである。
安定した生活と収入を得るためには、しっかりした相手を見つけることが条件でなかなか見つからないそうだ!
安心できそうなお客に相談しても妻帯者などやリスクを背負いたくない客ばかりだそうだ。
時たま、独身男性がいても○○○や、身体目当てのお客のようだ。
よく、僕に「アナタ、オネガイスル、アナタ、シンゲル、アンシン、ヤサシイ!」 と云って頼んでくる。
僕も、面倒臭いので、「本当の恋人か奥さんになるなら考えてもいいけど」
と話す、そうすると女の子たちは少し考えて、「アナタ、ムズカシイ!」と云って諦め、違う話題になりくだらない話題でその場を和ませる。
みんなで他愛の無いひと時を過ごし、セットコールが来てお愛想をし
友人のピーナに家族とイトコに伝言を伝えて、店を後にした。
最近のピーパブは、イミ婚相手探しの場所になっているようだ!
彼女たちピーナにとってまだまだ、日本はお金の国のようである。
追伸、 友人のピーナから聞いた話であるが、フィリピンでの韓国人の横暴ぶりは酷いようで、それに輪をかけ酷くなったのが警官たちである。韓国人のケチ(これは当たり前!)と五月蝿い横柄だけではなく、あのフィリピンで無免許で運転!特に語学留学で来ている若者たち警察の検問で無免許が発覚して警官に歯向い、「何故、無免許で悪い!」という態度をする。切符を切っても云う事を聞かないようです。現地警官たち、その後車を運転している韓国人たちを見つけて取りしらべはするが、複数の警官を呼んで、その場で暴行をするようになった。警官の韓国人狩り楽しんでいるようだ!!
追伸とは関係ないがこれを見て心、和ませてください!!
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