maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

2002/03/13

2002-03-13 10:42:35 | Today's maido(日記)

今日は我が家の罹災記念日。
1945年3月13日の大阪大空襲で、船場、新町、堀江、難波、大阪のド真中は丸焼け。
氏神さんの難波神社も仲良く丸焼け、
やっとヨチヨチ歩きやった私奴は焼け出されましてん。
心斎橋の地下鉄の駅に逃げ込んだから良かったようなものの、防空壕や橋の上に逃れた人々は、ほとんど助からんかったんやて。
私の生家は表が周防町通りに面して、裏は堀江の川、石段で川に降りれるようになってた、と言うことやけども、全く記憶にない。
1才2ヶ月では覚えて無いのが当たり前ですなぁ。
堀江も戦後瓦礫で埋められて道路になってしもた。
アメリカのB29が落とした焼夷弾、不良品やったんか、空中でバラけんとバンドで纏められたまま、応接間の屋根突き破って落ちてきたそうな。
「他所の家より火の廻りが全然違うた。ホンマにイサギのエエ燃え方やったで!」言うて親父が変な自慢してたけど、そら、バケツで水掛てもあかんわ。
この憎っき焼夷弾の残骸は、1/4世紀後に、鯉のぼりの竹竿を立てようと、穴を掘ってたら出て来よった。
まさか自分が掘り当てるとは、もう一寸値打ちのある物やったらエエけど、こんなん出て来ても何にもなれへん。
おみくじの入れ物みたいな六角やったか八角やったかの筒状の物やった。
錆びてボロボロになってたけど、爆弾のイメージとは違うたなぁ。
ホンマに親父の言うた通り、かたまって出てきたし、80mmくらいの幅の鉄のバンドも残ってた。
これは長なりそう、別口で書こ。
今晩は、東の方向いて、「無茶苦茶しやがって、ア~ホ~!」言わなあかんなぁ。



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