あと数日で10月を迎えるというのに
今日はまた、暑さがぶり返しましたね。
8月の末に行く予定だった、腎臓内科の病院へ
昨日行ったのですが正解でした。
今日だったら、きっと暑さでやられていたと思います。
この陽射し、保存して、冬に使いたいかあさん。
洗濯物もお布団も、気持ちよくなる事間違いなしだぜ
主人が退院してから少しずつ
過敏腸のほうは落ち着いてきましたが
膵臓のジクジクとした痛みは消えないままでした。
食事を控えて、エレンタールを飲むようにして
出来る限りの努力はしていましたが
自宅療養では、限界を感じ始めていました。
一度痛みが引いて楽になった時があり
少しずつ食事をUPしましたが
ストレスの元を抱えていましたので
すぐにまた、痛みが戻ってきました。
入院する前日には、また腹痛と下痢になり
これが決め手となって、もうお手上げ状態でした。
それが8月18日です。
翌日の19日は金曜日、主治医の外来担当日でしたので
何があっても、受診しなければ・・と思い
万が一、入院になっても困らないように
ふらふらの体で、荷物を準備しました。
7月の初めには38.5キロだった体重が
体重計に乗る度に減っていき
あばら骨は浮き、足も腕も細くなって
鏡で自分の姿を見て、このままいけばどうなるんだろうと
恐怖を感じた事もありました。
入院時の計測で、33.7キロになっていました。
いつも病院へは、電車とバスで行くのですが
とてもとてもそんな状態ではなく
自宅からタクシーで行こうと決めていました。
タクシー代を考えましたが
もう、どんな方法でもいいからとにかく病院へ
体が動くうちにと、それだけでした。
夜、帰宅した主人にそう伝えると
想像していた答えが返ってきましたが
「この体で、電車なんか乗れない、タクシーで行くしか無理」
そう言いました。
結局、主人が休みを取って車で行く事になりました。
大阪市内の車事情はよく知らないのですが
混む事は間違いないので
とにかく出来るだけ早く家を出る事にしました。
病院に着いて受付で事情を説明し
ベッドに横になって待たせてもらいました。
血圧、酸素量、体温の計測をされ
ベッドで痛みをこらえていましたが
カーテンで仕切られた隣のベッドから男性のうめき声が。
身をよじらせておられるのか
ベッドのきしむ音と、うめき声がずっと・・。
きっと、どこか痛いんだろうと思いつつ
そのうめき声を聞いてるうちに
今、病院にいるのが現実なのか、夢なのか
自分の痛みが軽くなるような酷くなるような
まるで異空間に身を置いているような
おかしな感覚になっていました。
看護師さんも、その方に構う事もなく
淡々とお仕事をこなされていて・・。
その後、看護師さんが男性に説明されてわかったのですが
検査結果がまだ出ない事には、痛み止めの点滴も出来ない、と
医師の処置待ちのようでした。
(胆石の痛みだったとか)
2時間ほど待って、ようやく診察室へ。
簡単な説明をしましたら、膵臓を休めましょうと
即入院となりました。
しんどい思いをしながら、入院の荷造りをした甲斐がありました。
診察室から出て、待合室にいる主人にそう伝え
それから入院手続きへ。
この手続きって、面倒ですね。
っていうか、こんな状態で
いろんな書類に書き込んだり、説明を聞かされたり
保証人だの職場の住所、電話だの
一人では無理なんじゃないかと思いました。
印鑑は絶対要るだろうと思い、持参していましたが
保証人2名のうち1名の印鑑は、それ以外の物で、だそうでした。
何かとややこしい手続きです。
今まで、膵炎での入院は
したくても縁がないだろうな、と思っていたかあさんですが
今回の入院でつくづく感じたのは
いざという時の為に、常に入院用の荷物を準備しておくこと。
諸先輩方も、そうされていましたよね。
こうして始まった、かあさんの入院生活。
次回から、入院中のメモ書きを元に
書いていこうと思います。
今日はまた、暑さがぶり返しましたね。
8月の末に行く予定だった、腎臓内科の病院へ
昨日行ったのですが正解でした。
今日だったら、きっと暑さでやられていたと思います。
この陽射し、保存して、冬に使いたいかあさん。
洗濯物もお布団も、気持ちよくなる事間違いなしだぜ
主人が退院してから少しずつ
過敏腸のほうは落ち着いてきましたが
膵臓のジクジクとした痛みは消えないままでした。
食事を控えて、エレンタールを飲むようにして
出来る限りの努力はしていましたが
自宅療養では、限界を感じ始めていました。
一度痛みが引いて楽になった時があり
少しずつ食事をUPしましたが
ストレスの元を抱えていましたので
すぐにまた、痛みが戻ってきました。
入院する前日には、また腹痛と下痢になり
これが決め手となって、もうお手上げ状態でした。
それが8月18日です。
翌日の19日は金曜日、主治医の外来担当日でしたので
何があっても、受診しなければ・・と思い
万が一、入院になっても困らないように
ふらふらの体で、荷物を準備しました。
7月の初めには38.5キロだった体重が
体重計に乗る度に減っていき
あばら骨は浮き、足も腕も細くなって
鏡で自分の姿を見て、このままいけばどうなるんだろうと
恐怖を感じた事もありました。
入院時の計測で、33.7キロになっていました。
いつも病院へは、電車とバスで行くのですが
とてもとてもそんな状態ではなく
自宅からタクシーで行こうと決めていました。
タクシー代を考えましたが
もう、どんな方法でもいいからとにかく病院へ
体が動くうちにと、それだけでした。
夜、帰宅した主人にそう伝えると
想像していた答えが返ってきましたが
「この体で、電車なんか乗れない、タクシーで行くしか無理」
そう言いました。
結局、主人が休みを取って車で行く事になりました。
大阪市内の車事情はよく知らないのですが
混む事は間違いないので
とにかく出来るだけ早く家を出る事にしました。
病院に着いて受付で事情を説明し
ベッドに横になって待たせてもらいました。
血圧、酸素量、体温の計測をされ
ベッドで痛みをこらえていましたが
カーテンで仕切られた隣のベッドから男性のうめき声が。
身をよじらせておられるのか
ベッドのきしむ音と、うめき声がずっと・・。
きっと、どこか痛いんだろうと思いつつ
そのうめき声を聞いてるうちに
今、病院にいるのが現実なのか、夢なのか
自分の痛みが軽くなるような酷くなるような
まるで異空間に身を置いているような
おかしな感覚になっていました。
看護師さんも、その方に構う事もなく
淡々とお仕事をこなされていて・・。
その後、看護師さんが男性に説明されてわかったのですが
検査結果がまだ出ない事には、痛み止めの点滴も出来ない、と
医師の処置待ちのようでした。
(胆石の痛みだったとか)
2時間ほど待って、ようやく診察室へ。
簡単な説明をしましたら、膵臓を休めましょうと
即入院となりました。
しんどい思いをしながら、入院の荷造りをした甲斐がありました。
診察室から出て、待合室にいる主人にそう伝え
それから入院手続きへ。
この手続きって、面倒ですね。
っていうか、こんな状態で
いろんな書類に書き込んだり、説明を聞かされたり
保証人だの職場の住所、電話だの
一人では無理なんじゃないかと思いました。
印鑑は絶対要るだろうと思い、持参していましたが
保証人2名のうち1名の印鑑は、それ以外の物で、だそうでした。
何かとややこしい手続きです。
今まで、膵炎での入院は
したくても縁がないだろうな、と思っていたかあさんですが
今回の入院でつくづく感じたのは
いざという時の為に、常に入院用の荷物を準備しておくこと。
諸先輩方も、そうされていましたよね。
こうして始まった、かあさんの入院生活。
次回から、入院中のメモ書きを元に
書いていこうと思います。
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