訪ねた外国では近隣の東アジアが最も遅く、それも四半世紀も前のこと。韓国は高度成長
を終え、中国は高度成長に入った頃だったが海外諸国の中では最も印象は薄く(写真のよう
に)おぼろ。それは団体旅行(3~4人だが)で、かつハードなスケジュールのため街を一人歩
きしなかったからであろうか。思い出すのは韓・中国の鉄道と中国のお茶、シンガポールの
料理、台北のお粥くらい。そして心に残るのは親切だった韓国人を失望させたかという後悔。
韓国の鉄道(太田(テージョン)→ソウル間)は快適だったが床が高く、ホームから客室へは段差
の大きい階段を3段ほど上る必要があり大きなスーツケースの人は一苦労の筈。ソウルの地下
鉄は日本と変らない印象だった。中国の鉄道(無錫→上海間)は背もたれが垂直なので座り心地
は悪かったが道路移動よりも遥かに安心感があった。青島→無錫は片側4~5車線の立派な道
路だったが、空〃の対向車線の端一杯にはみ出して走行する運転振りは"恐怖"だった。鉄道ダ
イヤは両国とも正確だったと記憶。
中国では出されるお茶に茶葉が沢山入っていて漉すことなくそのまま飲むのが新発見。無錫だ
けだったか今は不明。シンガポールでは或るパーティーに出席する機会があり、美しくも可愛
い子豚の丸焼きに目を見張ったが可哀そうで食べる気になれなかった。代りに、ここは水道水
も飲める清潔な国(翌日は土曜で仕事は無く、以後は一人旅)との安心感もあって宝石の山ように
輝くエビの刺身をたらふく食べたら一晩トイレに座りきりになってしまった。自分には最も効果
ある整腸剤のラクトーンも効かなかったが、前年に貰ってあった抗生剤を服用すると忽ち治った。
実はその前年頃から外国に行くと腹具合が悪くなるようになった。そこで東アジアでは朝昼食と
も抜いてラクトーンだけ服用し、夕食時にはたっぷり飲酒してから食事するする毎日だった。自
分は海外では名所旧跡を巡ったり高級料理を食するよりも、そこの人々がしている生活をしてみ
たい気が強いので、研究学園都市の太田で勧められた"定食"は是非食してみたかったのだが下痢
を恐れてそっと捨てた。それを通訳してくれた宋氏(尊宋先生・ソン・ソン・センニン)も、あらか
じめ送っておいた質問に回答してくれていた李氏(ソン・リー・センニン)もチラッと見ていた。も
しも韓国料理を見ただけで好かないのだろうと思われたらと、腹具合を伝えておけば良かったか
と今も思い出すと後悔する。
最後の台北は日本にいるような安心感があり、粥と漬物で朝食も摂り、訪問先でもホテルや空港
でも日本語が通じ、最も心安らぐ都市であったがゆっくり散策するほどの余裕時間はなかった。
土日の自由日も通過地のバンコックで駐在する友人と楽しく過ごしたのだが何故かバンコックの
印象も薄い。
[写真は左から蔚山(ウルサン)の古墳、青島(キンダオ)の海岸、無錫(ウッシー)の湖、ジャカルタ、シンガポール、
バンコック、台北の市街]






を終え、中国は高度成長に入った頃だったが海外諸国の中では最も印象は薄く(写真のよう
に)おぼろ。それは団体旅行(3~4人だが)で、かつハードなスケジュールのため街を一人歩
きしなかったからであろうか。思い出すのは韓・中国の鉄道と中国のお茶、シンガポールの
料理、台北のお粥くらい。そして心に残るのは親切だった韓国人を失望させたかという後悔。
韓国の鉄道(太田(テージョン)→ソウル間)は快適だったが床が高く、ホームから客室へは段差
の大きい階段を3段ほど上る必要があり大きなスーツケースの人は一苦労の筈。ソウルの地下
鉄は日本と変らない印象だった。中国の鉄道(無錫→上海間)は背もたれが垂直なので座り心地
は悪かったが道路移動よりも遥かに安心感があった。青島→無錫は片側4~5車線の立派な道
路だったが、空〃の対向車線の端一杯にはみ出して走行する運転振りは"恐怖"だった。鉄道ダ
イヤは両国とも正確だったと記憶。
中国では出されるお茶に茶葉が沢山入っていて漉すことなくそのまま飲むのが新発見。無錫だ
けだったか今は不明。シンガポールでは或るパーティーに出席する機会があり、美しくも可愛
い子豚の丸焼きに目を見張ったが可哀そうで食べる気になれなかった。代りに、ここは水道水
も飲める清潔な国(翌日は土曜で仕事は無く、以後は一人旅)との安心感もあって宝石の山ように
輝くエビの刺身をたらふく食べたら一晩トイレに座りきりになってしまった。自分には最も効果
ある整腸剤のラクトーンも効かなかったが、前年に貰ってあった抗生剤を服用すると忽ち治った。
実はその前年頃から外国に行くと腹具合が悪くなるようになった。そこで東アジアでは朝昼食と
も抜いてラクトーンだけ服用し、夕食時にはたっぷり飲酒してから食事するする毎日だった。自
分は海外では名所旧跡を巡ったり高級料理を食するよりも、そこの人々がしている生活をしてみ
たい気が強いので、研究学園都市の太田で勧められた"定食"は是非食してみたかったのだが下痢
を恐れてそっと捨てた。それを通訳してくれた宋氏(尊宋先生・ソン・ソン・センニン)も、あらか
じめ送っておいた質問に回答してくれていた李氏(ソン・リー・センニン)もチラッと見ていた。も
しも韓国料理を見ただけで好かないのだろうと思われたらと、腹具合を伝えておけば良かったか
と今も思い出すと後悔する。
最後の台北は日本にいるような安心感があり、粥と漬物で朝食も摂り、訪問先でもホテルや空港
でも日本語が通じ、最も心安らぐ都市であったがゆっくり散策するほどの余裕時間はなかった。
土日の自由日も通過地のバンコックで駐在する友人と楽しく過ごしたのだが何故かバンコックの
印象も薄い。
[写真は左から蔚山(ウルサン)の古墳、青島(キンダオ)の海岸、無錫(ウッシー)の湖、ジャカルタ、シンガポール、
バンコック、台北の市街]






