サイパンは、第一次世界大戦後に国連(国際連盟)が日本に統治委任した島で、日本はサトーキビ生産や簡便鉄道の整備など、
同島の開発にも寄与しようとした。それ故、日本の一般市民も暮らしていたために、国民巻き添えの最初の玉砕島になったのだ
ろうか。
マッピー山頂から見た西岸(対岸はテニアン島)
マッピー山頂から見たススペ地区(中央はススペ湖)
その右側のガラパン地区(左端側)と軍艦島
反対側(北東部)を望む
黒木大隊の15糎砲
空襲にも艦砲射撃にも全く応射せずに耐え忍び、上陸した敵兵に全ての榴弾を浴びせて殲滅し、その後の集中砲火を待つまでも
なく自決した将兵もいたという。この戦法が硫黄島に引き継がれたのか。負け覚悟の日本兵も悲惨なら、攻める敵兵もまた悲惨。
黒木大隊顕彰の碑
バンザイクリフ
自殺の場所としては、山中にあるスーイサイド・クリフも知られているが、日本の一般市民が大勢飛び降りた
この海に面した断崖がバンザイクリフとして最も知られている。
日本兵が"南洋桜"と呼んだ"火炎樹"の花
楡と火炎樹の並木
木陰で寛ぐ家族連れ(ママ友たち?)
海岸で遊ぶ子供たち
同島で最も湧き水がある洞窟の入り口のマリア像
以上、平成6年(AD.1994年)に玉砕50周年慰霊ツアーに合わせて行ったときの写真。周辺海域を封鎖されれば、水や食料の
自給さえおぼつかないこんな小さな島に多くの兵士を送り込んで、日本はどういう結果を想定したのか?(マリアナ海戦での
殆ど全空母と艦載機の喪失は大本営も政治中枢も本当に知らなかったのか)
後智慧批判をする気はないが、しかし戦争はしないとの憲法を持つ日本、世界の安全にも貢献するべきは当然であるが、ど
う取り組むのか。憲法の制約があることは諸外国も知っている。多分世界が羨む平和憲法のもと、最善の道を探って欲しい
ものである。(FE2、28mmF3.5、135mmF2.8、KX)
戦前のサイパンの製糖工場(ネット画像より)
戦前のサイパンの鉄道(ネット画像より)。戦後はもうない。