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ひょんなことから雇われ医師として参加することになった、カラコルムの未踏峰ディラン遠征隊。キャラバンのドタバタ騒ぎから、山男のピュアにして生臭い初登頂への情熱、現地人との摩擦と交情…。そして、彼方に鎮座する純白の三角錐とは一体何物なのか…。山岳文学永遠の古典にして、北文学の最高峰
ラーワルピンディからカラコルムの登山口にあたるギルギットまでの飛行機・・・
「インシ・アラー(神の御心のままに)」
窓外には、まがいようもない山があった。
カラコルムの山、世界中の登山家たる者の夢の象徴である高峰が。
日本には決してない山であった。
起伏し、のしあがり、突っ込み、重畳と連なる岩の殿堂であった。
太古の地球の思いがままの傲然たる起伏であった。
ぞくりとする美々しくも荘重な高峰、それに息を呑む間に、もっと高く猛々しい凄惨な峰が現れてくる。際限もない群峰の乱舞、荘厳な高山の陳列所。これがカラコルムなのだ。
ここは不思議な世界であった。
地球の古い古い荒々しくも華やかな地肌の隆起。
膨大な雪と岩が、なにかを、なにか人を魅し、圧倒し、厳粛にさせるものを形造っていた。純白と黒の交錯した世界が、この世ならぬ痛みに似た何物かを訴えていた。地球という遊星の上の最大の尾根!
そしてついに、ナンガ・パルバットが姿を見せた。
登山家なら誰でも写真でその峨々たる形態を目の奥に焼きつけている筈の山が。
それは恐怖を誘うあまりにも圧倒的な大伽藍であった。
峰が、尾根が、峡谷が、氷壁が、これまでのどの山より凄まじく、巨大で、仮借なく、無慈悲であった。魔人の立ちはだかる胸郭の露出であった。
攻撃者に対してこれほど犠牲を要求した山は史上にない。
8回の遠征に死者実に31人。
ナンガ・パルバットは何喰わぬ顔をして死者を呑みこみ続けた。
ヘルマン・ブールは、それまでに31人の犠牲者を呑んだ悪魔の山、地獄の山、人喰いの山の頂を踏み、そこから生きて戻ってきたのだ。
そしてその足で7654mのチョゴリザに挑戦、7300m付近で天候悪化のため引き返すとき雪疵から落ち、その強烈な生涯を終えた。