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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

慟哭の海峡・深く静かに潜行せよ

2020年08月23日 08時24分01秒 | 読書・戦争兵器
「深く静かに潜行せよ」

太平洋を舞台に繰り広げられた、米潜水艦と日本駆逐艦の死闘。映画化された海戦小説の不朽の名作

「海の底で男たちの生きざまをかくも見事に描き出した書物を私はほかに知らない」



“輸送船の墓場”と称され、10万を超える日本兵が犠牲になったとされる台湾とフィリピンの間の「バシー海峡」。アンパンマンの作者である、やなせたかしの弟もその一人だ。その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者がいた

作戦の成否はひとえに艦長の双肩にかかっており、敵艦船を沈めるのが艦長の手腕なら、敵に沈められるのは艦長の無能さゆえだ。平時においてさえ、潜水艦はつねに気まぐれな海を相手にしなければならに。自然を侮ったら最後、海は悪意に満ちた敵となって、容赦なく襲い掛かってくる

模擬魚雷発射装置

魚雷は標的艦の鑑底を通過するように設定された訓練用のもの。

敵勢予測盤

魚雷制御計算機

笛吹き浮標・ホイッスルブイ

魚雷発射管制盤

ブエナビスタ

馬名意味素晴らしい景色、絶景(西)

パナマ運河の近くにブエナビスタって街あるの
グーグルマップみてて偶然発見した

対水上艦哨戒用SJレーダー

標的方位送信器

双眼鏡で照準すると、その方位が送信器によって、自動的に司令塔内の魚雷制御計算機へ送られる仕組み。

ミッドウェイは大型の水鳥アホウドリで有名だ。
陸上ではアホウドリと呼ばれても仕方ないほど、いまにものろくさい。

面舵を取れば、水上では遠心力によって船体は左に傾くが、水中では右に傾く。

海の深みでは動くものもなく、なんの音もしないと思われている。だが、生物たちの発する金属的な音声はあくまで控えめで、クジラさえ遠慮がちに声をあげている。

ミッドウェイ島はアメリカ海軍がやってくるまで、この島の主は無数のアホウドリだった。この島で暮らすことになった者たちは、言動も考え方もいつのまにか、アホウドリのようにボケてしまうと言われていた。

機雷攻撃に備え、通風管バルブを閉めたため、艦内の気温は殺人的に上昇した。機関室と発令所から、摂氏58℃になったと報告があった。

我々が放った魚雷は、金属的な甲高い音をたてて容赦なく迫ってくる。針路制御用のジャイロスコープが故障してグルグル旋回してるらしい。

基準針路の一方を長くし一方を短くして、脈絡なくジグザグ航法してるようにみせかけるのだ。敵潜水艦はわれわれの針路を見極めようと煩瑣に潜望鏡を上げるはめになり、こちらはそれだけ敵を発見しやすくなるだろう。

「みなさんに最期のときが訪れるまで、しばし祖国の音楽をお送りしましょう。心安らかに、死の瞬間を迎えられますように」

「何者だ、この女は!」

「東京ローズと呼ばれている女です」

人生を楽しむのは今だけです。そのうち地獄へ堕ちて永遠に苦しむことになるのですから。愛する人たちに思いを馳せてください。でも、お手紙は書くだけ無駄です。あなたたちの手紙は、けっして届けられることはないのです。けれど、奥様や恋人たちは手紙を書き続けるでしょう。返事は来ないともしれずに

診断の結果、艦長の病は肺結核であると判明し、乗員は全員検査のため陸に上げられた。潜水艦のような狭い密閉空間では、潜航中には空気を循環させて使っている、病原菌があちこちに広がっていたとしてもなんの不思議でもない。

「地上であれ、海底にあれ、すべての墓には理想が眠っている。理想といっても、正しいものばかりでなく、なかには違ったものもあろう。しかし、墓に間違ったものはない。敵味方を問わず、墓は勇敢に戦った者が安らかに横たわる記念碑なのだ!」

「一筋縄ではいきませんよ。これまでの情報を総合すると、潜水艦がある海域に長く留まり、魚雷が残り少なくなったころを見計らって攻撃してくるようです、この駆逐艦は」

「敵潜水艦、沈んでいきます!
スポーツ中継のアナウンサーのように、興奮して早口になっている。
「艦内に浸水が始まりました!
防水扉を閉めています。もう一つ閉めた。スクリューの回転が落ちた。あっ、海水がなだれこんだ!艦内の物が音をたてて落ち出している、艦尾を下にしてどんどん沈降中!」

スピーカーから、敵潜水艦に浸水する音が聞こえてくる。黒々とした海水がひ弱な隔壁を破って、滝のように艦内の各区画へなだれこみ、圧倒的な水圧がすべてを押しつぶしていく。それから、金属が引き裂かれるようなバリバリという大音響がした。

「日本の光学機器のレベルは素晴らしく高い。
おそらく特大の双眼鏡レンズを装備しているはずだ」

「アンパンマン」を世に生み出す漫画家やなせたかしが1961年47歳のときに作詞した「手のひらを太陽に」

「生きている」、だから「かなしいんだ」というフレーズはやなせたかしが持つ独特の感性と叙情性を表すもの。

バシー海峡
鵝鑾鼻岬がらんぴー

輸送船の墓場
魔の海峡

太平洋戦争末期、バシー海峡で撃沈され、溺死した日本兵の無残な遺体が、この湾のあちこちに打ち寄せられた。

人間の遺体は、腐敗し、体内にガスが充満すれば、膨張して海上に浮き上がる。そして、ゆっくりと漂流していく。
フィリピンと台湾の間に横たわるバシー海峡に沈んだ日本の若者は、無念の思いを現世に伝えるかのように、くる日もくる日もこの浜辺に流れ着いたのである。

いつ、どこで沈没するかもわからない当時の輸送船には、いざというときに「浮遊」するものが数多く積み込まれていた。竹の筏もそうだし、剥き出しの材木もそのひとつだ。

海水を飲むしかない兵たちの小便は、漂流3日目あたりから焦げ茶色になった。

「肝をとって食べよう」
「そうすれば最後の力がつくから・・・」

衰弱しきった身体では、固形物は受け付けない。しかし、肝の血をすすることはできる。肝臓は、ビタミンや鉄分など、豊富な栄養が閉じこまれている・

おづおづと 鮮人の云う「今朝死にし 兵の肝とり わけて食わむ」

柳瀬千尋、享年23
駆逐艦「呉竹」米潜水艦の魚雷攻撃で沈没

子供たちに正義と勇気、そして生きることの大切さを伝えるアンパンマンは、やなせたかしにとって、弟・千尋を「モチーフにしたのではないか」とも言われている。

「暗号書」

機密扱いの書類は「赤」に分類されていた。
そのためこれらの機密書類をまとめたものを「赤本」と呼び、いざというときには海中に沈められるように表紙には鉛がついていた。

「誰か、軍艦旗取れ!」

筏を組んで脱出するならば、まず軍艦旗を下ろさないと「敵前逃亡」になる。軍艦旗があるうちに海に飛び込むことは、日本海軍では原則、許されない

「初日から驚きました。とにかく、魚の鳴き声を聴かされたんです。」

「絶対音感」

「貴様は父も母もなく、弟は養子に出て、戸籍ではたったひとりか。国家のために一身を捧げても泣くものはいないな。心おきなく忠節をつくせ、おめでとう」

それぞれに体力の限界がきていた。冬の海の怖さがそこにあった。海の底に引きずり込んでいく眠りの誘惑に、戦友たちは次々と敗れていった。

「海水が澄んでいてな、透き通って見えるから、仲間が沈んでいくんが目の前に見えるんです」


「上がったら、向こうでバットを持って待っておるわけよ。助けられた者が、気が緩んで気絶して死ぬるからね。だからバットでケツを叩くわけよ」


やなせは戦争中も、中国の村々で、得意の絵を描いて作った紙芝居を披露し、大歓迎を受けて、およそ戦地とは思えないのんびりした時期を過ごしていた。
しかし、終戦近くになってからは、飢えに苦しみ、食料調達に多大な苦労をしている。その経験が、のちにアンパンマン誕生へのヒントになるが


手塚治虫の登場で漫画の世界では長編劇画が主流を占めるようになっていきます。
それまでの漫画は4コマ漫画が普通でした。

マンガの仕事がなくなってしまった。


分は元気がなくても血は元気だな、と。だから手のひらを懐中電灯にすかしてみれば、というのがもともとなんだけど、懐中電灯じゃ歌にならないから「手のひらを太陽に」になりました。

「こんなものは童話とはいえません」
「顔を食べさせるなんて残酷です」

「この最初の絵本で、僕が描きたかったのは、顔を食べさせて、顔がなくなったアンパンマンが空を飛びところだ」

アンパンマンは焼け焦げたボロボロの、焦げ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、飢える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです

普通の人は無名である。
顔は知られていない。
顔がなくなってしまったアンパンマンは、エネルギーを失って失速する。この部分が描きたかったのだ。

しかし、不評のため、それからしばらくアンパンマンを描くことはなかった。

~~アニメ アンパンマンの誕生~~

「これは何だ・・・」
珍しく長男の幼稚園の参観日に来ていた日本テレビのプロデューサー武井は、教室の本棚にある絵本に目を吸い寄せられた。なぜか一冊だけ、ぼろぼろになっているのである。
「ああ、これですか。これは子供たちに大人気の絵本なんですよ」

「みんなが、とっかえヒッカエページをめくって、もう手垢がついちゃっているんですよ」

この絵本は、幼稚園に直販される月刊のおはなし絵本で、市販はされていないものだ。

これまでにないキャラクターに武井は、目を見張った。
「いけるかもしれない」

武井は吉永小百合の「花は花よめ」
「前略おふくろ様」など手掛けていた。

「新エースをねらえ!」
「キン肉まん」なども手掛けている。

だが・・・それに加えて
子供たちの感覚と大人の感覚があまりにも「かけ離れていた」のである。

「何だ、これ?」
「気持ち悪いじゃないか」
「頭をかじるなんて・・・」

「アンパンマンというのは犠牲的精神を発揮して、正義の味方でやっていく新しいキャラクターです。そこが子供たちに受けているんです。なんとか理解してください」

やなせが入院していたのは、御茶ノ水の順天堂病院特別室である。小渕恵三総理や美空ひばり、森光子・・・等々、多くの有名人が最後に入院した特別のフロアである。

「とくにか、ちひろ・・・という言葉が、本当に温かく、自分が包み込んであげるような言い方だったんですね」

「アンパンマンをかきはじめたとき
なにか不思議ななつかしさをおぼえた
どこかぼくの弟に似ている
ドンキちゃんはなぜか
ぼくの母親の面影があり
性質は妻に似ている」

「アンパンマンについて話すことは、あるいは自分史と重なるかもしれない、お恥ずかしいがしかたない」
最初のアンパンマンというのは、おじさんがアンパンを配るというものだったのですが、それが絵本になるときに、顔を食べさせるというところに進化するのです。



















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