東京・秋葉原 無差別殺傷から1年
今日、地元新聞、一面に載った秋葉原無差別殺傷事件
青森市出身の元派遣社員、加藤 智大被告による秋葉原の無差別殺傷事件から8日で1年が経過した。
7人が死亡、10人が重軽傷を負った事件は同級生や教師、加藤被告とかかわりあった人の心に今も影を落としている
事件のショック、取材攻撃
乱された平穏な日々
同級生の実家には報道関係者からの電話が相次いだ
事件の陰惨さ、取材攻撃。
へきえきしたこともあり『余計な事は言わないようにしよう』という空気になり、テレビのインタビューに答えた人を非難するような雰囲気も・・・
事件の翌日には両親が自殺したと噂も広まった
加藤被告の家族は、どうしているかな?周囲の心配する声も少なくなかった。
しかし【発言がマスコミに都合の良いように切り張りされるのが嫌だ】という思いから結果的には、みんなで口を閉ざした。
それでも地元に居る同級生への取材攻撃は凄く電話線を外した家も
突然起こった事件が平穏な日常を大きくかき乱したのだ
何の関係もない何人もの人の命を次々に奪ったのは事実
『友達として付き合ってきたから、あまり悪く言いたくない、という思いもあった。
だけど今、顔を合わせたら、声は掛けない。
それぐらいあいつは、許されない事をしたんだ』
加藤被告にかかわりあった多くの人が精神的に何らかのストレスを感じている。
高校時代の教師達
教え子の罪に自問
『何か、自分達に出来たのではないか』
『いま、彼に会ったら何と声を掛けよう』
加藤智大被告が起こした事件は教師の心にも取り除くきようのない重しになって、のしかかっている。
悩み明かした泣いた夜
仲間と語った居酒屋
加藤被告は、いつも泣いていた。
生まれ育った青森市の繁華街にある居酒屋。
1番奥にある、薄暗いテーブルで男性店主は『世の中をなめてるだろう』と度々、説教をした。
出会いは、売り上げの下がった居酒屋を維持する為に昼間のアルバイトで運送会社に入社し、同じチームになった、
トラックの洗車を欠かさない真面目な性格で、徐々に仲間と打ち解けた。
2~3カ月に1回、6人の仲間が店に集まり会社の愚痴、身の上話し、決して酒の強くない加藤被告も趣味の話しをするようになった。
将来の夢も語った『ゲームセンターの経営をしたい』
仲間の1人が低い収入で結婚する事の悩みを打ち明けた。
加藤被告も、つられるように『家族仲が悪い、家に帰りづらい』とこぼした
店主は『社会人なんだから独立して家庭を築けばいい』
加藤被告の、むせび泣く声が店内に響いた。
07年、加藤被告が『ネットで知り合った群馬の友達に会いに行く』
小旅行の報告だった、白いジャケットに白いズボン
『今、仙台に着いた』
楽しそうなメールが届いた
翌日『人を騙すのは良くない』ネットの掲示板に書き込まれた、ひと言に『相手が来なかったんだ』店主は直感した。
それ以来、加藤被告は電話に出なくなり一切の連絡が途絶えた。
そして昨年の6月8日、最後に見た時と同じ白いジャケット姿があった。
数日後、、店に仲間が集まり、無言のままニュースに見入って酒をあおった。
『現実では誰にも相手にされない』などと書き込んでいた事が報じられ、誰ともなく、『じゃあ、俺達は何だったんだ』つぶやいた。
何かあったら帰ってくれば良かったのに
店主は手紙を出そうと考えている
『俺達の事を忘れた事を後悔しろ』と
しかし、どんなに悔やみ後悔した所で被害者となった方は生き返らない
我が家の自由に走るワン子
加藤被告も純粋だった時があっただろうに
何故に家族の不仲に他人を巻き込んだのか?
これから裁判が始まれば再び報道され痛ましい現場を見る事になる
しっかり、自分を見つめて罪を償ってほしいです
あれから1年
遺族の方の心情を思うと言葉が出ません
家族を痛ましい事件で亡くす悲劇
どんな思いで、1年を過ごしてきた事でしょう
17人の殺傷事件は脳裏から消える事はないです。