この写真は写真家エディ・アダムスによって撮影
ピューリッツァー賞を受賞した一枚
サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)
兵士グエン・ヴァン・レムを路上で射殺するところである
ベトナム戦争のアメリカの介入について世論に大きな影響を与えた
ベトナム戦争時ひどい火傷を負いながら裸で逃げる9歳の少女だ
この写真は「戦争の恐怖」と題され
翌1973年、ピューリッツァー賞を獲得した
修羅場を背景に小さな少女が裸で逃げるこの写真
カメラマンは写真を撮った後,キム・フックと他の子供たちを病院へ運んだ
重度の火傷を負った彼女は一命をとりとめ
現在彼女は2児の母親としてカナダで暮らしている
1997年には国連・ユネスコの親善大使となった
ホロコーストで600万人のユダヤ人が殺された
14歳の少女アンネ・フランク
アムステルダムの屋根裏部屋で生活をしたときに書いたアンネの日記
希望を持ち続けていた事が綴られている
アンネはチフスによって亡くなる
この写真はどこでもいるような14歳の少女
彼女にはやって来なかった未来を見つめている写真として有名
ベトナムの僧侶
ティック・クアン・ドックは当時の政権に抗議
アメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺をした
その様子を目撃したニューヨークタイムスレポーターのデイビッド・ハルバースタムはそのときの模様をこう書いている。
「後にその様子を見る機会もあったが一度で十分だ。炎が体から舞い上がり、体はどんどん小さくしぼんでいき、頭は黒く焦げていった。あたりは皮膚が焼ける臭いがたち込めた。人間というのは驚くほど早く燃えてゆく。 私の後ろからは集まったベトナム人のすすり泣きが聞こえた。泣くにはあまりにショックで、書きとめたり疑問を投げかけるにはあまりに混乱し、うろたえて、考えることすらできなくなった。燃えていく彼は微動だにせず、声も発さず、彼の落ち着きはらった様子は周りの泣き喚く人々とのコントラストを醸し出していた。」
ナチの収容キャンプの一つ
ここでは4万3千人が殺されてた
ジョージ・パットン部隊が収容所を解放した
彼は収容所内で行われていた残虐行為に怒り
収容所内のことを知らなかったと言うドイツ市民2000人に彼らのした残虐行為を見せるために収容所内を行進させた。
1945年2月23日
撮影された硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てる有名な一枚である
ピューリッツァー賞を受賞したこの写真は,戦争のイメージを代表する作品
1枚の写真は9月11日
世界貿易センタービル爆撃の際にリチャード・ドリューによって撮影された写真であるが,読者からの反響を読んで批判が殺到し,新聞には一度掲載されただけである
(落ちる男)と題されたこの写真
1985年11月13日にコロンビアでネバド・デル・ルイス火山が噴火した
大量の火山泥流が発生し,25000人近い死者を出した
噴火の惨状を報道するテレビではまだ彼女が生きているときに足がはさまれたまま水に漬かる彼女が放映された。
赤十字は彼女を助ける為になんとか水を汲み出して救出を試みた
不可能だった
彼女の傍で慰めたり力づけたりしていた
最初は気丈に歌など歌っていたが,彼女は三日目に沈んで亡くなった
まだ13歳でした
1993年3月1日にケビン・カーターによって撮影された心痛む写真
アフリカ大陸スーダンを襲った食糧危機
飢えて地面にしゃがみこむ子供をハゲワシが見つめる衝撃写真
カーターはこの写真で1994年写真がピューリッツァー賞を取った
その後彼は自殺した
涙と鼻水で洪水になった私
あまりにも衝撃で脳裏に焼き付いてる写真の数々
この人達の身に起こった事は忘れてはいけない
戦争の悲惨,残虐なテロ
自然災害
そこにある危険と闘いながら私達は生きている
思いっきり風邪引いちゃったわ
ゴミ箱の中のティッシュ
鼻のかみすぎて真っ赤になってヒリヒリ痛い
自然災害は避けられないかもしれないが
戦争は回避できる
北朝鮮のミサイル発射が引き金にならない事を祈ってます
って言うか,ミサイル発射しか能がないの?
他にする事沢山あるでしょ
日本にミサイル向けるんじゃねぇ~
お前のかぁちゃんデ~ベ~ソぉ~
やっぱり暗殺されるかな?
明日の平和の為に応援宜しくね
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