私は、袴田事件を知らない、どんな事件だったのかも知らなかった。
無実の罪、しかも捏造で死刑囚にされ、明日は俺の番かと毎日、恐怖と戦った袴田さんの苦しみは想像を絶する。昨日、やっと冤罪が認められ死刑囚人の房から解放された袴田さん、その袴田さんの45年の苦しみは誰にも分からない。
ある時、『無実の大きな証拠が出たんだ』嬉しそうに姉に言った。
犯人のものと思われるズボンの装着実験、小さすぎて履けなかった『これで無罪だ』だが証拠となるズボンは味噌に漬けられて縮んだ、逮捕後に太ったから履けなくなった。検察側の主張が認められ判決は覆られなかった。
1980年に死刑判決が下ってから半年後、姉の秀子さん(81歳)はいつもと様子が違うのに驚いた。
『今日、隣の房の人が処刑された』
『お元気で』と言って連れて行かれた・・・。
顔は真っ青、声だけじゃなく身体も震えてた、その時の面会以来、袴田さんは死刑の話をいっさいしなくなった、代わりにおかしな言葉を口走るようになったと言う。
トイレと洗面台が付いた3畳の死刑囚房
『もう袴田巌はいない』など精神が崩壊状態
死刑判決から45年、死刑の恐怖にさらされ続けた、救済と呼ぶにはあまりに遅すぎたと思う。
証拠を捏造、袴田さんを死刑囚に祭り上げた人(当時)は心が痛まなかったのだろうか、死と隣り合わせの袴田さんの恐怖と背中合わせの拷問の日々、失った時間はお金では償えないし心の溝も埋める事が出来るはずない。
※ 袴田さんは死刑判決から50年近く死刑にならなかった事で、ギネスにも載っている。
逮捕から実に48年、ずっと無実を叫びつづけた袴田さん
袴田さんの無実を支援してきた人達、弟の無実を信じる姉の強い絆
袴田さんに証拠を捏造し犯人に陥れ、真犯人を野放しにした警察・検察
土下座して袴田さんに謝れ
当時の裁判官は『袴田事件は苦しかった』って謝ったわよ
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