何とかしよう、と

リアルタイム更新、苦手です。日頃の「ちょっと病弱」生活や、趣味について。

4回目の入退院

2021-12-07 | 病気
先日、大腸憩室炎のため7日間入院しました。

初回:2015年
2回目:2017年
3回目:2020年(「緊急事態宣言解除しますよ」時期)
4回目:2021年 ←イマココ

既に退院しています。
明日から職場復帰…しばらくうどんかお粥か餅だな。あとは温野菜か。

【そんなに入院前の食生活が悪かったのか?】
ええっと、食事は気をつけていました。
静かに食べたいので、外食さほど行かない(特にコロナウイルス感染が長期化して行く気にならない)。
牛・豚については塊のお肉を買わない。鶏むね肉中心、時々豚切り落とし。魚肉ソーセージや練り物、豆腐などでタンパク質を取る。タンパク質の倍量温野菜を取る。これが自宅での食事。
ただ、入院前の数週間出来合いの惣菜に頼っていたのは事実。
つまり、10月・11月は忙しかったのです。
おそらくストレス過多から発症です。

【入院までの経緯は?】
夕方、右下腹部に覚えのある痛みを発しまして…
堪えられない痛みではなかったので、その日の夕食をごく軽くし、夜、熱は平熱でしたが取り敢えず解熱鎮痛剤(過去にこれで痛みが治ったこともあったので)服用。「明日痛かったら取り敢えずかかりつけ医に相談しよう」と考えながら就寝。
翌朝、熱は平熱でしたが右下腹部の痛みは変わっておらず、
「これ、病院行かなきゃ治らん状況だ」
と(ここぞとばかり)使ってなかった代休申請(←これはこれでツッコミが入りそう)、開院と同時にかかりつけ医(内科)診察を受け血液検査。
やっぱりPCR値が 5.8 mg/dl
正常値は0.00〜0.30mg/dl といいますから、やはり高く、「内臓のどこか腫れてますよ」という数値。
かかりつけ医から紹介状書いていただき(入院したら毎日服用する処方薬が別の病院故に出してもらえないため、処方箋ももらい薬局で現物を引き取ってから)入院先の外科へ移動。
外科でも血液採取し、CT撮影。
撮影された腹部は、やっぱり痛い部分が白くうつっていました。
そして内科から外科に移動して1時間後にもかかわらずPCR値は 7.10 mg/dl。上昇してるよ…
ドクターが
「CTもそうなんですけど、今平熱でもこの後夕方から夜には発熱しますね。入院です。取り敢えず直ぐ抗生物質点滴しましょう。それから入院に必要なものを取りに一時外出してください」
ということで、入院に至ったのでした。


【今回の入院グッズは?】
一応、入院手続きの際に持参物の説明があります。今回は以下の通り。

「入院に際しては、身の回りの準備品として洗面用具、タオル、バスタオル、スリッパ、下着類、ティッシュ、ウエットティッシュ、水筒、プラスチックコップをご準備ください」

シャンプーや石鹸、歯ブラシ、フェイスタオル位なら病院内の売店でも扱っています(自分の好みのものがあるかどうかはさておき)。
ここからは、「今回持ち込んでよかったな」という持ち物を。

(1) やはりマグボトル
今回も持参しました、マグボトル(500ml)
幸い下血には至らなかったのですが、3日間は常時点滴。入院最終日も抗生物質点滴投与(食事の全粥やおかずは完食、嘔吐等もなかったから退院できた)。
点滴ということは、
「点滴の管等の関係で、日頃かるがるできることが億劫」
なのです。
入院中「水分は経口摂取もね」と念を押されます(そう言えば、入院直前の数日間、日中時間が取れなくて、口から飲んだ水分っていつもより少なめだった…これが憩室炎再発のきっかけのひとつかもしれない)。もちろん点滴でばっちり体内に水分補給するのですが、喉が渇くこと。
しかも今回は初冬。あったかいお茶が飲めるのは◎
ちなみに3日間絶食だったのですが、お茶は朝・昼・夕方の3回マグボトルに入れてもらえます。足りなければナースセンターで足してもらえますが、絶食中に点滴したまま歩くのは心許ない。
もちろん、ナースコールしてお茶をお願いすることは可能です。が、寝たきりでもないのにそこまでお願いするのもどうなんだろう…
ちなみに同室になった患者さんは水筒・コップ類を持ち込まずに入院したらしく(しかも外科的手術をしてリハビリ中)コップを病院から借りていたようです。
コップだと、温かいお茶が冷めちゃうよね…

(2) おひとり様だし、夜着はレンタル
コロナ禍が長く続いています。さらに、オミクロン株がじわじわ身近に近づいてきています。当然お見舞い禁止です。
それでも、家族がいるなら「ナースセンター経由で物品の受け渡し」は可能です。同居家族がいるなら、衣類を自宅で洗ってもらい替えを持ってきてもらうことはできました(私の入院中時点)。
が、私はひとり暮らし。しかも入院当初は常時点滴が確定。私が病院内の洗濯機・乾燥機を回せるんだろうか? そんな体力は多分ない。ただ寝ころがるしかない。
また、私の腕は点滴の管がなかなか入りづらく、肘辺りから点滴の管を挿入することもあります。ちなみに今回7日間の入院でしたが2回針の挿入を断念。その他腫れなどで4回針を交換しました。ということは「めくりやすい袖」であることが重要。
何より、大腸憩室炎ですので下腹部は頻繁に触診されます。パジャマではちょっとあたふたしそう。
ということで「自分で洗えない」・「加療し易さ」も加味すると夜着はレンタルの方がいい。

(3) ストール
初冬ですから寒い。暖房が入っていても上体を起こしている時、背中はスースーします。点滴の管で重ね着(袖のある上着やベスト)は難しい。
こういう時にストールが活躍しました。なんせ、巻きつけるだけ
11月になるとストールを身につけて外出するのですが、入院時にも役立つとは。

(4) タブレット+ワイヤレスイヤフォンとWiFiルータ
入院中ほぼ仕事はしませんでしたが、メール連絡はしました(相部屋で電話し難かったこともあります)。やはり報告・連絡は大切です。
職場はコロナ禍前なら「電話で知らせてくれた方が…」という方がそれなりに占めていましたが、2021年現在「メール打つのも大変だったでしょう。お大事に」と、柔軟になりました。
入院先には「電話室」なるものもあったのですが、そこは公衆電話(あの緑の電話です)。一応椅子も備えてあるのですが、ドアはなく完全個室にならない(「入院患者が急変したら大変!」という配慮があることはわかる)。ゆっくり喋るような環境ではないばかりか、それ以前に入院直後は自分の体力がない。外部との連絡はメールに頼ってました。
それから、タブレット端末でAmazonPrimeビデオのドラマを見たり(30分程度で1話がちょうど良かった)、ためていたポッドキャストを聴いたりと、視聴覚ウィーク状態
点滴中横になってましたので、どちらかと言えば音声のみの時間が多かった。ワイヤレスイヤフォン持ってきて正解でした

(5) ハンドクリーム
コロナ禍が長く続いていますから、手洗い・消毒は病院に限らず公共の場ならどこでも求められていますよね。
入院患者も同じです。
加えて、もう初冬。しかも暖房が入っていて乾燥気味
ハンドクリームは重宝しました。

(6) 不織布マスク+ホルダー
当たり前ですが、食事と入浴時以外は入院中も常時マスク着用。
私は不織布マスクの下にホルダーも着用して、肌が直接マスクに当たらないように夜も装着しました。
点滴の管を装着したままだったため、基本仰向け寝です。マスクなしで寝ていたら、絶対喉をやられたに違いない。
実は自宅では睡眠時に口テープを貼っています。今回の入院では忘れてきたのですが、マスクで助かった感じ。

(7) クレジットカード
私が入院した病院では、入院時に保証金を納めます。そして退院直前に病室まで請求書が届きますので、補償金を差し引いて精算します。
入院に際しすぐ支払う保証金の金額以外に、それなりの額を持ち込むのは抵抗があります。
ひとり暮らしの私に「退院時に家族にお金を持ってきてもらう」選択肢はほぼありません。
そこで、クレジットカード。
心置きなく支払いを済ませることができました。
(病院によってカードが使えるか、使えるならどの会社のものかは要確認)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月11日 (10年前/現在)

2021-11-11 | 日記
11月11日、様々な公的「記念」日のようですが

10年前の11月11日、私は韓国に出張していました。
韓国では今日が「ペペロデー」という日。
ペペロとは日本ではポッキーのようなお菓子なんだとか。
確か、「私たち細長いお菓子ペペロのようにずっと細い体型でいようね」というきっかけで広まったという説も教えてもらいました。
11年前の今日は、目新しいことに出会って面白かった。

…COVID-19流行前は気軽に渡航してましたね。
2021年現在、職場では海外渡航はおろか、国内移動も躊躇・自粛モードが続いています。
自分があちこち通院していることもあるのですが、病院では
「2週間以内に県外訪問している場合には、待合室での待機をご遠慮させていただきます(自家用車でお越しの方はご自分のお車の中でお待ち下さい)」
ということで、本当に居住地から離れてないのです。
でも、一応他の人の日常生活は気が緩んでない?という場面もちらほら。
だから長時間の外出は苦手。

私の場合、そもそもコロナ禍前からずっと人混み苦手・食事も黙食気味(そうでないと食べ終わるのが遅い)ですからあまり不自由を感じてない。
いや、伴侶を亡くして一人暮らしなので「誰かと一緒に食べる」意欲がないままという。
うーん、「誰かと一緒に食べる」は社交ではあるし、社交ができないというのはまあ寂しいとは思ってますよ。
でも、一人で伴侶の写真の前でご飯食べる生活でいいや。

と言いながら、私にしては珍しくファストフード店。


たまにはジャンクなものも食べたくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021年5月が過ぎてゆく

2021-05-31 | 日記
気が重い。もう5月が過ぎてゆく…

皆さんいかがお過ごしでしょうか?
コロナ禍が続いていますが。

私としては、長く自粛していますと、様々なことについて麻痺する感じ?
うーん、何なんでしょう?

世の中の見え方がぼやけてきたような、確かなものはごく僅かなような。

もう少しで6月です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020年が過ぎてゆく

2020-12-31 | 日記
気がつけば大晦日。
2020年の私、手帳を見ながら振り返ると…

1月、年明け早々7泊9日のドイツ出張。
うん、この頃は「中国でひどい肺炎が出たよ」と、まだ呑気だった。
ところが月半ばから「日本も危ないね」情報が。

2月、職場内で警戒が強まりました。みんなマスク着用。
下旬、知人とランチの最中、参加者ひとりから「あ、娘の卒業式(注:3月1日開催)に制限がかかったってLINEきた。卒業生だけだって」。これが長く続く自粛の始まりでした。

3月、実家の父(70代後半)から電話が入って
「大動脈瘤が放置できないくらい大きくなった、医者は手術を勧めてくるが、ワシは手術したくない。放っておいてコロリと死にたい。が、家族呼んで話を聞けと」
いや、父、手術しようね。ドクターから話を聞けば、開胸不要・ステント入れるだけじゃん。ついでに、もし動脈破裂しても心臓は動き続けるから、苦しく死へ向かうんじゃないかな…と説得しました。
ちなみに、娘である私は病院で父親のCT画像(色付き)に感動しました。父、若い頃は毎晩ビール瓶大2本、喫煙者でしたので
「不摂生すると血管こうなるんだ!そうか、石灰化もするんだ〜」
と感心しきり。(感心するところが人とズレてるのは自覚しています)

4月、父手術。この頃、病院お見舞い謝絶でした。父入院時には言わなかったけど
「父よ、これからあなたが入院する病院はCOVID19感染患者受け入れ病院ですよ…現在入院していらっしゃるんですよ…ま、あなた大丈夫だと思うけど」(この時点ではこの地域の医療状況は逼迫していなかった)。
父は無事手術成功、あっさり退院しました。
ちなみに退院後数日して全国緊急事態宣言。
ここから職場が地味に忙しかった…なにゆえ、私が遠隔会議システム研修リーダーになったのか? 世間ではあっさりテレワークに移行した職場も多かったようですが。
ただ、他の職員見渡せばネットリテラシー激弱。まさか「システム導入時の仮パスワードを今変えてください」からレクチャーすることになるとは。
結局、私はテレワークせずちまちま職場で研修資料作ってました。

5月、住んでいる地域の緊急事態宣言解除後、速攻入院。はい、結腸憩室炎ですよ。
やっぱり、ストレスは大腸に悪影響を及ぼす。
ちなみに、入院時は外科診療の待合は驚くほど少なく「診療控えなんだろうな」と感じました。
そして、この入院で体重をがっつり落としたこと、そして退院後も食事量が増やせなかったこともあり、6月から9月まで(仕事は続けたものの)例年になく疲弊しました。実際自分がどう過ごしていたか記憶が曖昧というか、体調不良の記憶の方が強くて。
ちなみに、夫の法事は一人でとり行いました。

10月から11月、ようやく体重が戻り始め。
趣味の集い(歌)も回数はめっきり減りましたが再開しました。

12月、イマココ。
そもそもインドア生活大好き・人混み嫌い人間ですので、生活パターンはあんまり変わっていません。が、親しい人と会う機会はがっつり減りました。
実家は遠くないけど、父が「お前、家に居れ。仕事で人と関わっている以上、(COVID19を)持ち込むかもしれん」と心配しています。数日前に実家に行きましたが私と会話する時に父はずっとマスクをつけてました。もちろん、私も。

まあ、静かに年越ししましょう。
良いお年を😌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三回忌を終えて(つまり、死後2年が経って)

2020-07-08 | 「見送る」
夫が亡くなった日は一日中雨でした。やはり、雨の日は緊張するといいますか、構えてしまいます。

三回忌なんですが、思い切って私一人で法要をとり行いました
もちろん、コロナウイルス感染の拡大も判断材料のひとつではあったのですが、

昨年も、夫の両親が何も連絡せず(私は5月初めに「法事どうします?」と連絡したが)お寺の住職様に事後報告された
ということと
夫の両親が何も連絡してこなかった
というのが、判断材料でした。
(私は夫の両親を「結構な“毒親”だな・・・」と判定しています)

まあ、そんな些末な世俗ごとは置いておいて。

寂しい、です。
「夫が生きていたら、・・・・と言いそうだなあ」
とか、
「夫がここにいたら、・・・・と反応しそうだなあ」
とか。
私は対外的にはいわゆる猫被りというか、やせ我慢をする質なので一部の人には「立ち直ってる」または「立ち直りつつある」と思われていると想定しています。
でもそんなに簡単なことではありません。

ちなみに、緊急事態宣言解除後、速攻大腸継室炎の再発で入院しました。
お肉(特に牛肉で厚みがあるもの)を口にしていません。
というか、食欲は感じるのですが、お腹いっぱい食べたくはないのです。
そんなことをしてしまうと、翌日腹痛で目が覚めます。

私に、ちょっとは明るい生活は訪れるのでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする