先日、親しくさせていただいている人から「数年前からレナード・コーエンを聞いています」というメールをいただいた。渋い声の向こうから 別のささやきが聞こえてきて、常ならぬもの いのちの繫がりに「そうなんだよな」「そうとしか言えない」と独り納得しておられるという。まるで、自分の若い頃にタイムスリップしたようだ。
1934年にカナダのモントリオールに生まれたレナード・コーエンは、大学在学中から作家・詩人として注目されていたが、やがて自らの詩を呟くように唄いだし、シンガー・ソングライターとしての評価が高まっていった。はじめてレナード・コーエンを聞いたのは、およそ40年ほど前のこと、たしかBird on the Wireだったと思う。彼の声は、私の身体をゆさぶり、ことばの向こうにあるものに触れさせてくれた。
Like a bird on the wire, 電線の上の一羽の鳥のように
Like a drunk in a midnight choir 真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
I have tried in my way to be free. ぼくはぼくなりのやりかたで自由になろうとした
この訳詞をされた三浦久さんを知ったのもその頃だった。京都で英語の先生をしておられたが、自分でも「私は風の声を聞いた」や「山頭火」といった曲を作って唄っておられた。
私は風の声を聞いた
その分別を捨てて
ただ生きて生きなさい
私は風の声を聞いた
二人の歌声に導かれて問うてみる。私は、自分の人生を自分で切り開いて生きているだろうか。波風のたたない安易な生き方を求めていないか。無用な争いを避け、きまりを守り、世間の慣習にしたがうことばかりに腐心していないか。問題状況を安易に切り抜ける方法ばかりを考えていないか。そうしているうちに、しらずしらずのうちに生気を失っていないだろうか。そして、やがて窒息してしまわないだろうか。この袋小路から抜け出す道は、ひたすら問いつづけること。いま見えているものを問い直し、自分の考えや行動を問い直し、その前提となっているものを問い直すことだ。自分を取り巻く現実に触れて、不断に問いつづけることだ。
私は、教師として、子どもたちに自らの力で人生を切り開き、生き抜くことを教えているだろうか。失敗を恐れ、安全を求めて、手順やマニュアルを与えて、手とり足とり、子どもの学びをコントロールしていないか。子どもたちが、大人の顔色に左右されないで、とことん自分の問題と向き合い、試行錯誤を重ねて自分の力で状況を切り開いていくのを助けているだろうか。そのために、自らも自分の人生を自分で生きながら、子どもたちと向き合い、切り結んでいくのが大人の役割であろう。
コーエンは、70歳代半ばの現在も世界各地にファンが多く、YOU TUBEでは、その代表作のほとんどを聞くことができる。時代はコーエンを必要としているのかもしれない。
60歳を越えた三浦さんも、故郷の長野県辰野を拠点として、大学で教鞭をとりながら各地でコンサート活動を続けておられる。
「人間にとって、とにかく一番重要なものは、自由なんだね。自らの判断で、自らの責任のもとで生きていく、それが大事なんだ。日本でも、もっと早い時期に、子供を一人前の大人とみなして、自らの意志で生きていくのが当然といったような、そんな社会になっていってほしいね」(「15年ぶりで三浦さんの歌声を聞いた時、風が優しく僕の頬を撫でていった。」山田博之、月刊 『Live Station』 Nov 1990)
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