昨日の続きです。
一条恵観山荘は、花がほとんどありません。
今年、山荘では、何種類かのあじさいを植えました。
来年のあじさいの季節が楽しみです。
あじさいです。
長谷の光則寺では、ひとつひとつ名前と出生地?が書かれている
名札がつけられています。
滑川は、昨日の雨で水かさがましていました。
水源地?
今度聞いて見ますね。
紅葉の季節が楽しみです。
山荘の紅葉は、京都のように真っ赤になるそうです。
下流方向です。
隣家ですが、お茶の先生の家とか
ありがとうございました。
今、大島直行先生の「縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか」を読み始めました。
大島先生は、札幌医科大学の客員教授で北海道考古学会会長を歴任された方です。
縄文人について単なる物としての土器ではなく、縄文人が何を考えていたのかを
研究された先生です。先生の本を読んでいてわくわくしてきます。
この本は、129冊の文献から読み説いています。僕はいろいろな本を読みますが、
このような文献で読み解いている本は初めてです。
まさに論文を読んでいる気がしてきます。
今まで「死」を安易に考えてきましたが、人間の原点に立ち替わって
考えることが必要ですね。
今、清水義久さんの「気」の話を縄文人の立場から理解しないと
ならないのでは思い始めています。
魂の体であるメンタル体は、1万五千年ぐらい残存すると言われています。
縄文人がどのように考えていたのかを知ることの大切さを知りました。