11月23日 神戸市北区の三田市に近い
鏑射寺に行って来ました。近畿三十六不動尊霊場第11番札所。
新幹線京都駅で降りて姫路行きに。

大阪駅では反対側に新三田行き乗り換え
40分ほどで「道場」駅

駅前でハイキングの人たち


約2kmほど登りの道



のんびりと散策気分でした。


ちょっと吉野の山に雰囲気が似ていますね。
洞川温泉の山道を歩いている感じ。

いよいよ鏑射寺に着きました。

もみじが綺麗!!


鏑射寺の山主の中村公大阿闍梨さんが好きでほとんどの本を読みました。
以前から参拝したいと思っていたのですが、
決心して来てしまいました。

いのちの宝庫を開く からの文章です。写真は、鏑射寺です。

今朝ほどもお会いしましたが、何人かの方がご奉仕にお見えでした。
本堂の床を磨いたり、境内の落ち葉の掃除などをしてくださいます。
何もお願いしているわけではないのですが、
皆さん毎日、一生懸命にしてくださいます。
とくに土日には、遠近を問わず大勢の方が通ってこられ、
境内やお堂を清めてくださいます。
そのおかげもあって、ここはいつも清々しい気で満ちています。
ありかたいことです。

毎月二十二日はお祭りの日ですが、本当に多くの方々がお出でくださいます。
広報をしているわけではないので、皆さん、「口コミ」でいらっしやるわけです。
病気がよくなった方とか、
悩みが解決した方とか、いろいろいらっしやいます。

お医者さん本人ががんになったりしたら、
やはりご自分で、病気が手に取るようにわかりますから、
一番深刻です。
手遅れでどうにもならない、切ることもできないという宣告を受けて、
こちらで元気になった方もいらっしやいます。
そういう人たちが、喜んで喜んで、手伝ってくださるのです。

時にはびっくりするようなことかあります。
もう何軒も病院を回ってきたけれど、四歳の子どもの目が明かない。
このまま一生どうにもならない、
あきらめなさいと、お医者に宣告された。
思いつめたご夫婦は、あるご縁に導かれてここに来られたのです。
そうしたら、拝んだその場で調子が良くなったのです。
見えなかった子どもの目が見えて、その場で走り出しました。
その話を紹介者の方に伝えたら、よくぞおかげを受けられましたねと
言われましたけれど、私もそう思います。

その前は肝臓癌の人が来ました。
腹水がたまっておなかが大きく膨れて、
もうお医者さんがだめだというような、重篤な患者さんでした。
それが頼まれた翌日から、スーツと腹水が引いて、そのまま元気になりました。
そういう例は、話し出せばきりがありません。

人間の体からは、やはり光が出るのですね。
それで物理現象を起こすわけです。
ですから、いい例が「念写」とか「透視」などというのは、
実際にそんなに難しいことではないのですよ。
以前、大阪大学の先生方や、学生、研究生など十数人が実験に参加し、
そのうちの七人に透視ができて、七人が念写をしました。
初めての人でも、そういうことかあるのです。
また、若手の和尚さんたちのグループにも、何回か念写の実験をしてもらいました。
全部で十二、三人いましたが、一人をのぞいて、全員ができました。
念写というのはじつはその程度で、やりやすいことなんですね。

先年お亡くなりになられましたが、
やはり大阪大学工学部名誉教授の長谷川嘉雄先生が、
こんな実験をされました。
私か被験者で、人間の波動は鉛を通すか通さないかという実験です。
レントゲン線でさえ鉛は通さないでしょう。
それを通せるかという実験です。
鉛の板を立ててさえぎって、その向こうに何かあるか見てくれというわけです。
鉛の向こうで、先生がポケットに入れていたものを取り出して置きました。
もちろん私にはわからない。
しばらくじっと心を統一しているうちに、
くるくると丸いものが並んでいるのが見える。
おかしいな、それしか見えないなと。
ところが、ときどき丸と丸の問から向こうがかすかに見えるような気もするけれど、
どうもはっきりしない。

私はその図面を描きました。阪大に持って帰って、
その図面と高性能の電子顕微鏡で見た鉛とを比べて調べたら、
なんと鉛の原子構造だったんです。
鉛の原子構造なんて、もちろん私は知りません。
見えたとおりに描いただけです。
それは、鉛は通すことはできなかった。
見えそうな気がしたけれど、よく見えなかった。
それでも、それくらいの能力は、
みんな持っているのです。
信じられないと言われるかもしれませんが、
そういうことかありました。
本堂と護摩堂には、横から入って祈っても
良いですよと言われて、
護摩堂でお経を上げて、30分ほど瞑想をしました。
体中に護摩焚きの臭いが染み渡りました。

その前に鏑射山山頂に登りました。
少し急な坂でしたが。


護摩堂を出て、「もみじ」を見たとき、
今まで見たこともないような素晴らしい「もみじ」でした。
修験道で苦しい山道を下りて来たときに
何回か、見たことのない鮮やか草や木々の色に感動しましたが、
鏑射寺では、境内にいながらそれを感じられました。
その代わりに、道場の駅に戻ったときに
心の疲労感に襲われました。
不思議でした。
ありがとうございました。
明日は、フルサイズのもみじの紅葉の写真を。
串田さんの地震予報の続報はありません。

鏑射寺に行って来ました。近畿三十六不動尊霊場第11番札所。
新幹線京都駅で降りて姫路行きに。


大阪駅では反対側に新三田行き乗り換え
40分ほどで「道場」駅


駅前でハイキングの人たち



約2kmほど登りの道






のんびりと散策気分でした。




ちょっと吉野の山に雰囲気が似ていますね。
洞川温泉の山道を歩いている感じ。


いよいよ鏑射寺に着きました。


もみじが綺麗!!




鏑射寺の山主の中村公大阿闍梨さんが好きでほとんどの本を読みました。
以前から参拝したいと思っていたのですが、
決心して来てしまいました。


いのちの宝庫を開く からの文章です。写真は、鏑射寺です。

今朝ほどもお会いしましたが、何人かの方がご奉仕にお見えでした。
本堂の床を磨いたり、境内の落ち葉の掃除などをしてくださいます。
何もお願いしているわけではないのですが、
皆さん毎日、一生懸命にしてくださいます。
とくに土日には、遠近を問わず大勢の方が通ってこられ、
境内やお堂を清めてくださいます。
そのおかげもあって、ここはいつも清々しい気で満ちています。
ありかたいことです。


毎月二十二日はお祭りの日ですが、本当に多くの方々がお出でくださいます。
広報をしているわけではないので、皆さん、「口コミ」でいらっしやるわけです。
病気がよくなった方とか、
悩みが解決した方とか、いろいろいらっしやいます。


お医者さん本人ががんになったりしたら、
やはりご自分で、病気が手に取るようにわかりますから、
一番深刻です。
手遅れでどうにもならない、切ることもできないという宣告を受けて、
こちらで元気になった方もいらっしやいます。
そういう人たちが、喜んで喜んで、手伝ってくださるのです。


時にはびっくりするようなことかあります。
もう何軒も病院を回ってきたけれど、四歳の子どもの目が明かない。
このまま一生どうにもならない、
あきらめなさいと、お医者に宣告された。
思いつめたご夫婦は、あるご縁に導かれてここに来られたのです。
そうしたら、拝んだその場で調子が良くなったのです。
見えなかった子どもの目が見えて、その場で走り出しました。
その話を紹介者の方に伝えたら、よくぞおかげを受けられましたねと
言われましたけれど、私もそう思います。


その前は肝臓癌の人が来ました。
腹水がたまっておなかが大きく膨れて、
もうお医者さんがだめだというような、重篤な患者さんでした。
それが頼まれた翌日から、スーツと腹水が引いて、そのまま元気になりました。
そういう例は、話し出せばきりがありません。


人間の体からは、やはり光が出るのですね。
それで物理現象を起こすわけです。
ですから、いい例が「念写」とか「透視」などというのは、
実際にそんなに難しいことではないのですよ。
以前、大阪大学の先生方や、学生、研究生など十数人が実験に参加し、
そのうちの七人に透視ができて、七人が念写をしました。
初めての人でも、そういうことかあるのです。
また、若手の和尚さんたちのグループにも、何回か念写の実験をしてもらいました。
全部で十二、三人いましたが、一人をのぞいて、全員ができました。
念写というのはじつはその程度で、やりやすいことなんですね。


先年お亡くなりになられましたが、
やはり大阪大学工学部名誉教授の長谷川嘉雄先生が、
こんな実験をされました。
私か被験者で、人間の波動は鉛を通すか通さないかという実験です。
レントゲン線でさえ鉛は通さないでしょう。
それを通せるかという実験です。
鉛の板を立ててさえぎって、その向こうに何かあるか見てくれというわけです。
鉛の向こうで、先生がポケットに入れていたものを取り出して置きました。
もちろん私にはわからない。
しばらくじっと心を統一しているうちに、
くるくると丸いものが並んでいるのが見える。
おかしいな、それしか見えないなと。
ところが、ときどき丸と丸の問から向こうがかすかに見えるような気もするけれど、
どうもはっきりしない。


私はその図面を描きました。阪大に持って帰って、
その図面と高性能の電子顕微鏡で見た鉛とを比べて調べたら、
なんと鉛の原子構造だったんです。
鉛の原子構造なんて、もちろん私は知りません。
見えたとおりに描いただけです。
それは、鉛は通すことはできなかった。
見えそうな気がしたけれど、よく見えなかった。
それでも、それくらいの能力は、
みんな持っているのです。
信じられないと言われるかもしれませんが、
そういうことかありました。


本堂と護摩堂には、横から入って祈っても
良いですよと言われて、
護摩堂でお経を上げて、30分ほど瞑想をしました。
体中に護摩焚きの臭いが染み渡りました。


その前に鏑射山山頂に登りました。
少し急な坂でしたが。




護摩堂を出て、「もみじ」を見たとき、
今まで見たこともないような素晴らしい「もみじ」でした。
修験道で苦しい山道を下りて来たときに
何回か、見たことのない鮮やか草や木々の色に感動しましたが、
鏑射寺では、境内にいながらそれを感じられました。
その代わりに、道場の駅に戻ったときに
心の疲労感に襲われました。
不思議でした。
ありがとうございました。
明日は、フルサイズのもみじの紅葉の写真を。
串田さんの地震予報の続報はありません。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます