故鈴木大拙老師の「一日一言」から
「人を動かす力」
至人というのは、そのひとすべての行動が
人格から出るときに、しかいわれるのである。
凡人でもある機会にひょうと人格的行動する
こともある。
その瞬間だけその人は、少時の
至人性を帯びてくる。
サムエル・コ-キング苑のつづきです。
椿が少し咲き出しました。
地下室の温室です。
ありがとうございました。
故杉本秀太郎先生の花ごよみ「春」から蒲公英(タンポポ)
ある年のこと、まだ幼かった娘たちを連れて、御室の仁和寺にいった。
「花は低うても御室の桜」と昔から言うのは、「女は愛嬌、男は度胸」という
俚言の上半分を言い替えたようなものなのだが、
仁和寺境内の桜はすべて背丈が低く、
しかも花の色がほんのりとした紅色の八重桜
なのを知っていないと、「花(鼻)は低うても」とうい冗談が通じない。
御室の桜は花どきが遅く、
例年四月二十日前後が見頃になる。
緋の毛凱を敷いた花の下は、飲めや歌えや、踊れ踊れの乱痴気さわぎ。
西洋なら、フランドルの農民たちの春祭ケルメスに、
かつて同じような情景が見られたのは、
夕-ベンスの絵から想像がつく。
どことなく剛直で、軸がたくましい。
花びらも寸づまりで膨なところがない。
これは西洋たんぽぽなのだ。
花の襟もと、とでもいえばいいのか、
うてなの裏を返したところに、くせのあるあごひげが生えていた。
である。図柄に文字を配していう・
精神の産物というものは、吹く風あらばいかなる風にも敏感に応じて綿毛を
とばすたんぽぽに喩えることができる。私はいまも時どき、
学生時代に買ったぼろぼろの『プチニフぐIス辞典』を引く。
私のなかに、
私の土壌に、この古ぼけた、しかし引きやすい辞書からとんできて
芽吹いたたんぽぽの数を、私はかぞえたこともない。
花どきはいつのことか。
もう花どきはすぎたのではないか。
「ノン」と私が答えても、人よ、笑いうな。
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杉本先生の文章を読んでいて材木座の光明寺の桜を思い出します。
仁和寺の桜は見たことはありませんが、光明寺の桜と
同じなのかなあと思い出して心が温まります。
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