昨日の続きです。
旧荒浜小学校(震災遺構)から50mほど海側にガマの油売りの芸が
出来るおじさんと話しこみました。
おじさんは、ここ住んで3代になりそう簡単に移転できないとの話。
震災の津波から海岸からあるある範囲は住ことを認めない
地域にしていしてしまいました。
旧荒浜小学校から海に向かう道の途中にのぼりにひかれて
「ちょっとお話を聞かせていただけませんか?」と僕。
「良いよ、入りなさい」
この模型の上から下の川が象山運河です。
林が切れた所に橋があり渡ったところに荒浜小学校があります。
震災前の航空写真です。運河の海側にも民家が建ち並んでいました。
おじさんが今、働いている場所です。
烏骨鶏を育てています。
65才のときに脳梗塞で倒れ元気になり
山中7ケ宿をわらじで歩こうに参加したとき75才で
新聞記事に出ています。
これから近所の土地を宮城県から借りて烏骨鶏を300羽育てて
その後有機農業を行いたいと希望を話してくれました。
勿論、美味しいコ-ヒ-をごちそうななりながら。
スト-ブもおじさんの手作りです。
ここに烏骨鶏を300羽育てると夢を持っています。
裏の畑です。
旧荒浜小学校です。
1階のこの入り口から津波が押し寄せました。
ありがとうございました。
こうしてブログを書いていて、吉野古道の修行だとか
断食会に参加しようと思っていることが
自分自身が心の底から恥ずかしくなりました。
そうだ!もう一度渡邊さん--おじさんの名前です。
真剣に話を聞くことは、菩薩行であることに気づきました。
貞山運河をもう少し自分の目で見て
無くなった方達の冥福を祈ることが
僕の残された人生のひとつなのかも知れませんね。
明日は久し振りに箱根勤行です。
最近、寝ていて足がつります。
明日の朝の状態によりますが?
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