戦国武将で一番人気の幸村、その三代が果たせなかった夢を、私が叶えました。
新作 「家康殿、捕まえちゃいました。」
茶臼山本陣から外れ、天王寺村を徘徊していたそうですヨ
和歌山の九度山町、との縁もあり、作ってみました、「家康ファンの方おられましたら申し訳御座いません」 家康の顔を彫るのに、何度も何度も、写真とニラメッコしました、その事で笑ってお許しを願います。」 なんとか体型と雰囲気がでたような・・・それでも、まだ自信無くて、旗指物で、本人紹介(ゴマカシ テク”)しました。(似顔彫刻は、得意ではなくて、高校生の妻・両親を含め、まだ8人ほど彫ったぐらいです。) 「それが出来れば商売になるのに、モッタイナイ」 笑覧者に、よく言われます。
今日は夜明け時間から曇り空で、気温も低めだったので、新作紹介に・・・と、言うより、まずは、「家康殿確保」を大坂城に報告し、秀頼と茶々の冥福を・・・
大坂冬の陣の真田幸村の軍旗です、6文銭ではなく無地の赤です、理由はお調べ下さい。
この撮影中にも、たくさんの笑覧者(朝のジョギングついでの・・)がありました、大阪の人がこんなに家康がお嫌いとは、「よーく捕まえてくれた”」 「お手柄、お手柄、うれしい”今日は朝から、気分が良い”」と笑いながらでも、丁寧なお礼の言葉を頂きました。
そして、帰り道に、もう1ヶ所、真田山(冬の陣幸村の陣跡)へ、と近道・・・先にたどり着いた所が、玉造神社、ここにも秀頼の軌跡があります。
後ろの、石の鳥居は秀頼が寄進した物です、大阪大空襲にも耐えたのですが、阪神淡路大地震で、下部が折れ、現在は半分埋まったような形で立っています、ここにも「家康殿確保」の報告奉納。
玉造稲荷神社、ここが、伊勢街道170㌔の起点です、利休や利家の屋敷があった所です、
今日の目的では無かったのですが、車に積んでいた、街道まつりシリーズを・・・・
小さな、宮さんなので、大阪城見物のついでにでも、是非お寄り下さい。(4・5台の短時間駐車出来ます。)
この後、冬の陣、真田丸跡へ向かいました。つづく・・・