町並み情景工房

大坂冬の陣、奉納

大坂冬の陣で、幸村の本陣があった、真田丸跡に、行きました、大坂城、玉造稲荷神社の真南に位置します、現在の、三光神社が、そのあたりだと、推察できます、理由は、東西が急な坂、北側の背は大坂城の掘り、大坂平野には、山と言われるような、高台は、真田山(後からの名)と、家康本陣の、茶臼山ぐらいです、(ちなみに、港区の天保山は、大阪人のシャレで付けた、単なる地名だと思います) この両陣営地は、南北に一直線上で、上町台地と呼ばれ、東西の勾配は、かなりです、陣地の要件である、見晴らしは、当時、東は生駒山、西は六甲山まで見渡せる、双方にとって絶好な陣です。

この両陣地の高低差は、ほとんど、ありません、また、数の勢いで攻めるには、この南側から一気にが、常識戦法でしょう、それは、東側(今の環状線玉造駅近辺)は沼地で、無理、西側は、やはり、急坂と大坂城の最外堀の役目を果たしている、自然の川がたくさん(当時)ありで、無理、幸村も、一方向なら、小部隊でも戦えるとの判断での、陣取り。

こんなふうに、地形や、両軍の位置関係など知ると、面白いものですね。

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幸村に報告です、「家康殿、捕まえちゃいました。」

ここは、現在、三光神社です、写真左側に真田の抜け穴があります、大坂城での笑覧者に、「抜け穴は伝説で本当は、古墳では・・・」と言うと、「あの入口の石組は、絶対に古墳では無い”」・・・叱られました、真田フアン、コワイ・・・でも帰り際、「家康、捕まえてくれて有難う、よくやった」と・・・・。

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三光神社本殿の紹介です。 左のおじさん、ここの掃除をしておられる方で、私の作品を、とても喜んで頂き、「11月の第一日曜に、大阪城赤備え隊が来てイベントがあるので、みんなに見せてやりたい。」 「家康確保の作品、絶対にウケル”ので」 との、お誘い、しかし、テキ屋さんが多く来られるとの事で、売り物ではないのですが、商売のジャマをしても・・・と、遠慮するつもりです。

右の女性、熱心に笑覧、有難う御座いました、朝の散歩のオマケになったようで、喜んでいます。

”もうひとつ、このおじさんに、「ここは冬の陣の場ですよね?」と確認、・・・「そうや、勝ったときや” 和睦しなかったら、家康めは、この作品のようになっていた”」と・・・

この時間、少し陰って、少し風があって、城まつりシリーズ3点だけ置き、こんな形で3人で、しばらく、ホッコリ時間、過ごさせてもらいました。   帰りに、神社裏の真田山墓地にお参り、日清戦争からの軍人墓地だそうです、たくさんの人が、清掃奉仕をされておられました。

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まだまだ、「家康殿、捕まえちゃった」の奉納ブログ、予定してます、秀頼と幸村に、関連した所へ出かけて、家康嫌いの人達に、笑って頂きます。


町おこしのためのジオラマです。

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