2023-7-17(月)晴
大坂河内長野には、雑賀衆と志を同じくする、僧兵がたくさんいました、「天野山金剛寺」を筆頭にして、かく寺が、ともに信長に対峙するための兵を抱えていました。
・・・あらすじ・・・
その昔、丹後を追われた「鬼たち」が逃避中に、山深い寺「延命寺」の温情にすがり、住みつき、「鬼住村」の名ももらい、平穏な日々を・・・
・写真は「烏帽子形城」
・・・鎌倉期の天守の姿!
・・・松永久秀が信貴山城に天守閣なるものを造るまでの姿です!。
この地は「東高野街道」と「西高野街道」が交わる、「七ヶ辻」・・・
その地名どうり、さまざまな地につながる要衝の地です、かっては楠木正成が、東軍を迎え撃つために、烏帽子形神社のウラ(神域)山に整備した
出城です。
時は戦国!
信長の命で雑賀攻めを任ぜられた秀吉がこの要衝を、食料、武器などの物資供給基地に使うべく、岸和田城主で家老格、中村一氏が、※狭間障壁や地の利を活かした城に整備しました。
・真ん中に「障子掘り」が・・・
城の守りが固められ、次は雑賀と通じている僧兵どもの排除に・・・
・舟入です(?山城なのであったかどうか?)
「馬だし」に、変えるかも・・・
・前回の船”・・・後ろに「舵」を取り付けました。
一氏が恐れたのは僧兵よりも鬼住村の数百の、ちから自慢の鬼たち・・・ 「秀吉は金子で話をつけろ!」・・・
つづき はまた・・・
※・・・先年、烏帽子形城の発掘調査に出会い、市の職員が
「鉄砲、矢間障壁の「基礎石」が見つかった!」
「他の城と同様に狭間障壁を備えた城だった!」と
興奮状態であった事を思い出しました。
その折「掘りだした瓦が頑丈でキレイ??」と疑問”
私「よい所に気づかれました、城は早くこしらえる必要から瓦の焼は
あまいのが普通で、おそらくこの瓦は、金剛寺あたりの予備瓦を
供出させたもの・・・」
職員から「勉強にまりました」とお礼の言葉もらいました。
ご笑覧ありがとうございました。