拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

アッディーオ、庭木!

2024-09-08 08:51:38 | 植物

私の郷里の田んぼはなくなったが(前回の記事)、筑波山の回りには今でも豊かな田園風景が広がっている。「でんえん」というと、なにやら高級な感じがしないでもないが、そもそも「田」であるから、田んぼがある風景に使うのが相応しいはず。だからベートーヴェンの交響曲第6番は「田んぼ」と呼ばれてしかるべきである。え?ドイツに田んぼはない?なら、この交響曲の副題に「田園」という邦語を当てるのが間違っている。因みに、光源氏がふざけて作った歌に「常陸には田をこそ作れ」というのがある(源氏物語)。現在の常陸(茨城)の田園風景は平安の世からあったのだな。

茨城は海が近く、霞ヶ浦もあって低地だから田んぼだが、私の奥地の家の辺りにあるのは茶畑(と山)である。そんな奥地の家の「猫の額」は、狭いくせに未開地であり、鬱蒼としていて「秘密の花園」という別名を与えているが、

いよいよ討伐軍をさしむけることにした(植木屋さんに来てもらうことにした)。このままでは、内にあっては妖怪の住処然としていて恐ろしいし、外にあっては切っても切っても道に枝が張りだすし葉も落ちてご近所迷惑である。さらに、こないだなどは、家の雨戸のあたりでガタガタと鳴る音がして、ポルターガイストか?とはさすがに思わなかったが、雨戸の戸袋に鳥でも入ったか(そういうことは過去にあったと聞く)、と思い戸袋の中を覗いたりもしたが何もない。正体は、伸びすぎて風が吹く度に戸袋と接触した庭木の枝であった。こうした狼藉まで働くようになったので、討伐を決めたのである。

作戦は、信長(の家来の明智)が延暦寺に対してしたような、あるいは秀吉が秀次の妻子に対してしたような「根絶やし」(皆殺し)であるが、杏(梅だと思っていたのは杏であった)だけは残しておこうと思った。だが、頼朝に情をかけたばかりに滅亡した平家の例もある。というのはとってつけた話であり、実際は、植木屋さんと「この梅(杏)だけは残したい」「でも、これ、相当弱ってますよ」「え?今年、実をたくさんつけたけど」「最期に実をたくさんつけるものなんです」「じゃあ、これも切っちゃってください」「それがいいと思います」という会話があって作戦が決まった次第である。

というわけで、杏(下の写真の左)も、サルスベリ(右)も、

サザンカも、ハナズオウも、トキワマンサクも、カエデも、カナメモチもこの日が見納めである。サルスベリなどは、今が盛りと咲き誇っているが、道に落ちた花房は掃除しなければならぬ。樹上にあって咲いているうちは綺麗だが、道路に落ちたソレは厄介者である。

ホントを言えば、寂しい気がする。私が此処に常駐していれば、日々メンテナンスができ、剪定・除草によって生じたゴミは燃えるゴミで出せるはずである。常駐せずとも車があれば、生じたゴミはたやすく処分場に運べたところである。すべては、常駐せず、車を持ってないことから生じる不都合であった(リアカーの購入を検討したこともあるが、非現実的である)。

それにしても、サルスベリは、夏にきれいな花を咲かせるものだ。私はこの歳になるまで、サルスベリの花を認識してこなかったが、一度認識すると、至る所にサルスベリの花を見る(と同時に道に落ちた花房も見る)。


孤閨をかこつ・守る

2024-09-07 06:51:01 | 朝ドラ

朝ドラ「虎に翼」で寅子を演じている伊藤沙莉さんを初めて知ったのは、かつての朝ドラ「ひよっこ」の米子役。米屋の娘の役である。米子は自分の名前が嫌で「さおり」と名乗っていた。昨日のあさイチでは、是非、米子の思い出話をしてほしかったのにそれは出なかった。そう言えば、「虎に翼」に「山田よね」という役名が登場する。「米子」にしろ「よね」にしろ、親はお米に不自由しないようにと願って付けた名前だろう。

その米がお店にない。米屋にもない。新米が出るまでの辛抱だと言われてきたが、その新米の価格は銘柄によっては40%アップだと言う。このインフレの中、比較的価格が安定してると言って米に注目が集まっていたのに40%増はきつい。私は予言する。今後、米離れは一層加速するであろう(米不足でタイ米を輸入したときがそうだった)。田んぼの景色は日本の原風景であるから残ってほしいのはやまやまであるが、残念なことである。

田んぼと言えば、私が子供の頃、季節になると田んぼの蛙の大合唱が町中に響きわたっていた。稲を刈り取った後は子供達が野球をして遊ぶ場だった。「横浜市」と言っても、港のヨーコが闊歩するエリアだけではないのである。その故郷を何十年ぶりかで訪れて歩いてみたら、田んぼがすっかり住宅地に変わっていた。もはや蛙の合唱が響くことはないだろう。こんなにどんどん田んぼをつぶしてよく米が足りてるなー、それだけ米離れが進んでるのかー、と思っていたら、需給はキツキツだったのだろう。ひとたびバランスが崩れると今回のような米不足である。

ところで(落語ならここで羽織を脱ぐところである。だが枕話の方が長い)、私の靴下の片割れが長いこと雲隠れ状態で、残されたもう片っ方は孤閨をかこっていた。いったいこの狭い家のどこに隠れているのか不思議だった。ところが、ある日、猫のケージの下から見慣れないブツが顔をのぞかせている。

もしや、と思ったら当たりであった。行方不明の片割れであった。いきなり顔を出したのは、多分、最近レーザーディスクを押入から取り出すときこのケージを動かしので、そのとき引きずられたのだろう。崖崩れによって顔を出した地層から化石が見つかるごとしである。明けない夜がないごとく、見つからない靴下の片割れはない。相棒が見つかって、各々は再びペアとなって衣装ケースにしまわれることとなったが、それが彼らにとって幸せかどうかは不明である。因みに、前出の朝ドラ「ひよっこ」は、ヒロインの父が長く行方不明で妻(ヒロインの母=木村佳乃)は孤閨を守っていた。なお、「孤閨(こけい)をかこつ」は独り寝の寂しさを嘆くことであり、「孤閨を守る」は配偶者の長期不在中に残存配偶者が家を維持すること(だそうで)である。(私にとって)大変お勉強になる当ブログである。


伊予の湯桁(源氏物語の疑問再び)

2024-09-06 07:19:58 | 小説

私は豚肉も鯖も好きであるが、ビタミンB1が豊富な前者とドコサヘキサエン酸が豊富な後者の二者選択に迫られた場合、どちらを選択すべきかは悩むところである。

私が亡き母に「免疫を鍛えて病気を治す」話をしたとき、母は、そんなバカなことがあるものか、病気は病院で処方された薬で治すモノである、と言い張り、私のことを胡散臭そうな顔で見た。え?お母さんはこの歳になるまで「免疫」について聞いたことがなかったの?と不思議に思ったが、実際、免疫が注目されだしたのはこの半世紀のことらしく、私自身も免疫を聞くようになったのは大人になってからである。だが、母の場合は、聞いたことがあっても忘れた可能性がある。

はて(が口癖の寅子が今日のあさイチのゲストである)……ではなく、さて。源氏物語の第二帖「帚木」の与謝野晶子訳で哀れな私の脳みそは糸を紡ぐグレートヒェンのように混乱したが、角田光代訳で回復した旨を書いた。その後、疑問がぶり返した。一部重複するが、こういうことである。

最初に読んだ与謝野晶子訳ではこうであった。光源氏が伊予守の息子の家に泊まったとき、光源氏は、伊予守の「娘」が高慢だという噂を聞いて興味を持っていた。その後、夜中に光源氏が屋敷内を徘徊しているうちに伊予守の「後妻」の部屋に行きあたり関係を結んだ。ここで私は混乱した。最初に話の出た伊予守の「娘」はいったいなんだったんだ?そこで、助けを求めて角田光代訳を読んだ。角田光代訳では、光源氏が興味を持っていたのは伊予守の「後妻」であった。だから、興味を持っていた相手と関係を結んだ相手が一致する。これで納得した私は混乱から脱却した。角田光代訳は各帖の冒頭に人物関係図を載せているが、本帖の関係図では、伊予守の子は息子が一人いるのみである。

ところが、次帖の「空蝉」の関係図ではしらっと伊予守の子が増えている。「西の対のお方」と呼ばれる伊予守の「娘」である。光源氏は先に関係を結んだ「後妻」と今一度とばかり寝込みを襲ったがもぬけの空(着物だけが残っていた。だから「空蝉」と呼ばれる)。代わりに寝ていた「娘」と関係を結ぶのである。

ってことは、当該館には、たしかに伊予守の「後妻」と「娘」が両方いて、光源氏はどっちとも関係を結んだことになる。だから、最初に光源氏が興味を持った対象を「娘」とした与謝野晶子訳も「あり」だったことになる。因みに、そのくだりの原文は「思ひ上がれる気色に聞きおきたまへる女なれば」であり、この「女」についてのそれ以上の記述はここにはない。それゆえに「女」を「娘」ととるか「後妻」ととるかで訳者の解釈が分かれたようである。

なお、伊予守は「受領」である。「受領」とは名目のみではなく実際に現地に赴任する地方長官であり、光源氏が伊予守の後妻と関係を結んだときは伊予守は任地の伊予の国にいて(つまり、伊予守の後妻は夫の単身赴任中に光源氏と関係を持ったわけである)、その後、上京した際にはまっさきに光源氏に挨拶に来た。光源氏はさすがにまともに伊予守の顔を見られなかったと言うから一応罪の意識はあるようだ。だが、伊予守が妻を任地に連れて行き娘を適当な相手に嫁がせるつもりだと聞くと大慌て。情事の相手を二人一度に失うことになるからである。とか言いつつ、情事の相手は他にもいるのだから何をか言わんやである。与謝野晶子訳では光源氏は非の打ち所のないスーパーヒーローの印象だが、角田光代訳では「しょうがない人だ」的なニュアンスが強い。因みに、大河ドラマのまひろの父も、まひろを連れて任地の越前に赴任したから受領だったのだな、とガテンがいった。

因みに、光源氏は、挨拶に来た伊予守に「伊予の湯桁」について聞いている。「伊予の湯桁」って道後温泉?当たりらしい。漱石の「坊ちゃん」にも登場する温泉で、私はここに一度行ってみたいと思っている。


弟子も美女

2024-09-05 06:11:20 | 日記

某国家資格の受験指導をしていたときの生徒さん達は、今や押しも押されぬ先生に出世された方々ばかり。私の誇りであり(Darauf bin ich stolz!)、藍より青くもここに極まれりである。先生方は紺碧に輝き、私の藍はもはや蒸発して影も形もない(私は廃業済みであるからこれは卑下ではなく事実である)。そうした先生方のうち、私のことを覚えていてくださる殊勝なお二方と会食を共にした。写真の掲載及びタイトルを「弟子も美女」とすることについては先生方のご了承済みである。

先生方との歳の差は○○(○○に入る値は素数である)。奇しくも、今、お世話になっている別の分野の二人の先生方と同い年であらせられる。私は、このお歳の方々と縁があるんだなー、と感じ入った次第である。

先生方からは、「若い」と言っていただいた。そりゃー「老けた」とは言えない。人は人生の過程でこうした嘘を学ぶものである(学ばない人もいる)。

因みに、「弟子も」の「も」を表す外国語はtoo,also,auch,ancheといろいろあるが、そのうち「also」は「も」の意味であるから英語のオールソーである。だが、横野君のような古いドイツの歌を歌う人は、まっさきにアルゾーが思い浮かぶそうである。そんなことがあるぞー、と言う人が古いのは歌ではなくおつむである。歳をとると前頭葉が退化し、こういうろくでもない駄洒落を言うことのセーブが効かなくなるそうである。


ボケ老人の決め台詞

2024-09-04 08:43:41 | 日記

朝ドラの昨日の放送では、余貴美子演じるコーイチの継母が鬼の形相で「どーいうことっ?」と言っていた。ぎょっとした。ボケが進んだ頃の私の母も同じ形相で同じ台詞を吐いていた。まず「どーいうこと?」が来て、その後に詰問が続く点も同じである。「どーいうこと?」はボケ老人の決め台詞なのだろうか。せめて、いきなり「どーいうこと?」ではなく、内容を先に言ってほしいと思ったものだが、考えてみれば、5W1Hを文頭に言うのは欧米的である。こういうボケ老人に、理屈を懇切丁寧に説明して理解してもらおうとするのは愚である。私の母の場合は、もともと変な人(私はその遺伝子を引き継いでいる)だったから、ボケてんだかなんだかが分からず、かつ、私も認知症の理解が薄かったから一生懸命説明をしたものだが、後から考えてみれば無駄な努力であった。朝ドラではそのへんのことを家族がよく分かっていて、逆らわずにご機嫌をとっていた。

今日の放送では、「財布がない」と騒いでいた。これも認知症患者のあるあるである。が、「財布がない」は認知症でなくてもあるあるである(数学的に言えば、認知症患者は「財布がない」と騒ぐ人の部分集合である)。私などは、人生の3分の1をモノ探しで費やしてきた自負がある。原因は分かっている。分かった、若年性ボケだろうって?そう簡単に分からないで欲しい。違う。例えば、家の中をうろうろしていて、はっと気がつくと手にスマホを持っていると、ははーんと思う。このスマホを、そこら辺にぽいと置いて、それで後からないないと騒ぐのである。だから「モノはしかるべき場所に置く」を徹底すれば問題は解決である。ドイツ系アメリカ人の夫と結婚した私の恩師は、モノを「しかるべき場所」以外に置くと必ず夫がそれを元の場所に戻すと言っていた。整理整頓好きなドイツ人の面目躍如である。だが、恩師はそれが鬱陶しいと文句を言っていた。あたしはもっと気楽な人がいいのとも言っていた。

なお、ドイツ人が整理整頓好きなのは認めるが、「Sauberkeit」(清潔さ)にかけては、これは日本人の方が徹底してると思う。日本は水に溢れていて、水で清める生活が身についているせいだと思う。鉄道の正確性にはかけては、これはもう日本の独壇場である。ドイツの鉄道は、特に冬場は雪のせいで何十分遅れはざらである。

 


冬の嵐は過ぎ去り……ではなく「避けた」が正しく、バッハの歌詞にも目白押しだった件

2024-09-04 07:06:05 | 音楽

ワーグナーのオペラの歌詞に「冬の嵐は過ぎ去り」というのがある(今回の書き手は横野好夫です)。「過ぎ去り」にあたる動詞が「ヴィーヒェン(wichen)」。でも、「wichen」で辞書をひいても何も出てこない。そこで、ドイツに赴任することになった外交官の友人に「ねえねえ、おかむらー(……じゃなくて)○○くん。『過ぎ去る』って意味の『ヴィーヒェン』って単語ある?」と聞いてみた(40年前の話です)。すると、○○くんは知らないと言う。なんだ、ドイツ担当の外交官のくせに知らないのかよ、と不埒なことを思った私であった。

後にドイツ語をちゃんと勉強した今の私なら、質問が悪かったことが分かる。つまり、件の「ヴィーヒェン」の元は「ヴァイヒェン(weichen)」。それが過去形の「ヴィーヒ(wich)」になって、それに複数形の語尾変化があって「ヴィーヒェン(wichen)」になったのである(辞書をひいても出てこず、おかむらじゃない友人に訪ねても分からないワケである)。そして、その意味は「避ける」。つまり、件の歌詞「Winterstürmen(冬の嵐)wichen(避けた)dem Wonnemond(幸せな月を)」 を直訳すると、冬の嵐が幸せな月を避けて隠れた、という意味になり、それを「冬の嵐は過ぎ去り」と意訳していたわけである。

さて、そう分かってみると、やたらと「weichen」「wich」が耳につくようになる。特に、バッハのカンタータには目白押し。いや、カンタータだけではない。夜、横になってバッハのモテットのCDをかけたら、第1番の途中で寝落ち、一番好きな第2番の間は夢の中、目が覚めたら第3番の途中で、第4番の冒頭はしっかり聴いた。この第4番は、私が室内合唱団の楽コンだったとき演奏会にかけた曲だから下振りを相当やった曲で聴くのは久しぶりである。するとあらびっくり。冒頭「Fürchte dich nich」(恐れるな)で始まったと思ったら、その後、ずっと「Weiche nicht」((私を)避けるな)を繰り返しているではないか。下振りは、当然、歌詞の意味を勉強してやったと思うのだが、うわっつらだけで、一つ一つの言葉への理解がなかった証拠である。「ねえねえ、おかむらー(……じゃなくて)」を経てドイツ語を真面目に勉強したのはそのずっと後のことである。

因みに、その「おかむらではない友人」の仲人さんは、大昔にNHKのドイツ語講座で講師をやられてた偉いドイツ語の先生で、番組内でドイツ語の歌を歌ってらして、声は立派なバリトンだった。そんな偉い方が仲人を務める結婚式だったから、私の友人仲間は私を含めて一人も呼ばれなかった。外務省のお歴々で席が埋まっていたことは想像に難くない。その後も妻殿を紹介いただく栄誉に浴したことはない。どんな奥さんなんだろー見てみたい、とか言ったらバチが当たりそうである。(追記)今、ふと思って、彼の名前でググって見た。おろ、ウィキペディアにページがある。現在の写真もついている。近況はこんなか。同期(って外務省の同期なのだろう)に大使経験者が20人以上名を連ねてる。こりゃー、私達は結婚式に呼ばれないわけだよ。


第九のエンディングはトルコ行進曲!?

2024-09-03 07:51:29 | 音楽

私(横野好夫)が子供の頃、第九のレコードの名盤は、フルトヴェングラーがバイロイト祝祭管弦楽団を振った演奏と相場が決まっていた。怒濤のエンディングでは狂気に陥った指揮者が猛烈なアッチェレランドをかけ、アンサンブルは空中分解、もはやカオスであった。が、名演とされていた。フルトヴェングラーと入れ替わりにヨーロッパ楽団の頂点に立ったカラヤンの第九は打って変わって、この人はテンポが速いことに定評があったにもかかわらず、件のエンディングは妙に落ち着いて整然としたものだった。

このエンディングのスコアは、熱狂の末、ぶち切るようにいきなり終止する。この音楽について、フルトヴェングラーを神と仰ぎ、カラヤンを商業主義の申し子のように言い続けた某評論家氏は、「ベートーヴェンは第九の最後で天を目指したが、ベートーヴェンも人の子、力尽きた。だからいきなり終わるのである」みたいなことを書いていた。よくできたストーリーである。このようなストーリーにフルトヴェングラーはぴったり符合し、カラヤンは相容れない(つうか、フルトヴェングラーの演奏からこのストーリーを編み出したのであろうか)。私を含めた当時の子供は、このストーリーについても、フルトヴェングラーが神様でカラヤンが商人であるということについても洗脳されたのである。

とうにその洗脳が解けたワタクシの現在の解釈はこうである。件のエンディングには、当時の交響曲には普通使われない打楽器、すなわちトライアングル、シンバル、大太鼓が加えられている。

鐘太鼓がシャンシャン鳴るのはトルコ行進曲である。行進曲は正しいテンポを守らなければならない。アッチェレランドは禁物である。行進する人がつんのめる。そのように考えると、シャンシャン鳴るなかで平然とテンポを守るカラヤンの演奏は実に曲に即していると言える。この様な解釈は某氏からすれば「不都合な真実」であり、「なにも分かってない」と仰いそうである。なにも分かってないのは仰る通りである。その点、カール・ベームをつかまえて「オペラが苦手」とお書きになった同氏とどっこいである。

ベートーヴェンが第九を作曲した当時、ウィーンはトルコ文化が流行だった。オスマン・トルコ軍によるウィーン第2次包囲はこの100年前。包囲されたとき、城壁の中にいたウィーンの市民は、城外のトルコ軍の鐘太鼓に生きた心地もしなかったろうが、包囲が解けて100年も経つと、今度はそれを楽しむようになったわけである。

トルコ民族はもともと中国の北方民族の一つである。だいたいわれわれを含めたアジア人は鐘太鼓が好きである。日本の球場で応援と称して楽器の音が鳴り響くのもその現れである。もしかしたら、日本のファンも、メジャーの試合みたいにキャチャーミットにボールが吸い込まれるときの音とかを聴きたいのかもしれないが、球団は雨の日も風の日も応援してくれている私設応援団に止めてとは言えないのだろう。

トルコ行進曲と言えば、モーツァルトのピアノソナタの第3楽章だとか、ベートーヴェンの劇音楽「アテネの廃墟」の中の音楽(これもピアノ用に編曲されている)が有名だが、モーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」の中の音楽も、いたるところで鐘太鼓がシャンシャン鳴ってトルコっぽい。映画「アマデウス」にはソプラノ歌手の発声練習がそのままこのオペラのコンスタンツェのアリアに移行するシーンがあって私は大好きである。因みに、この映画のディレクターカット版には、モーツァルトの妻コンスタンツェが夫の便宜を図ってもらおうとサリエリの家に行ってトップレスになるシーンがある(劇場公開版にはない)。

冒頭に書いた「フルトヴェングラーのバイロイトの第九」は、アンサンブルが崩壊するが名演なのはたしかである。だが、当時の子供に「アンサンブルが崩壊するのが名演」という誤ったメッセージを与えたきらいはある。正しくは「崩壊しても名演」である。

整然としたカラヤンもときに白熱するときがある。1960年代に作成した第九の映像は、音を先に録って後から画をかぶせたようだが、当のカラヤンが自分自身の音に合わせて指揮をする(真似をする)のに四苦八苦している。おいおい俺!速すぎるよ、と言ってる風である。さらに、1940年代にウィーン・フィルを振ったCDを聴いたときは、あまりに白熱してて、アンサンブルもところどころほころんでたからフルトヴェングラーか?と思った。フルトヴェングラーとカラヤンを間違えるなんぞ、肉と魚を間違えるようなものだから、これは決死の告白である。ただ、最近は、大豆で作ったハンバーグがほとんど肉と遜色ないそうだ。

ウィーンを包囲したトルコ軍が残していったのは鐘太鼓の音楽だけではない。潰走したトルコ軍の置き土産の中にコーヒーがあり、誰かがこれを拾ってコーヒー店を出したのがヨーロッパでコーヒーが広まったきっかけだそうである。バッハがコーヒーカンタータを書いたのはトルコ軍によるウィーン包囲の半世紀後であり、この頃既にドイツにもコーヒー文化が広まっていたわけである。このカンタータを聴くと、当時のコーヒーの人気のすさまじさが分かる。カンタータに登場するコーヒー好きの娘は父に「男を連れてきたらコーヒーを止める」と言うが、それでも隠れてコーヒーを飲み続けると告白してるから、コーヒーと男の好き程度はいいとこ勝負のようである。


「逆襲」の次は「復讐」(シリーズ化)

2024-09-02 16:59:27 | 映画

「源氏物語」の「桐壺」「藤壺」はもともと特定人の名ではなく宮殿(内裏)の部屋の名前だったことを知ったほやほやである。それから、昨日の大河ドラマで道長たちが天皇の御前で評定をしていた場所(御簾で天皇と隔てられていた)は、写真で見る実際の清涼殿とそっくりである。ところで、大河では、一条天皇のお言いつけによりまひろが「源氏物語」の続編を書くことになったが、実際のところ紫式部は第1帖の「桐壺」で完結のつもりだったのだろうか?それが思わぬ好評を得て(大河で描かれたように)シリーズ化したのだろうか?

その点、「吾輩は猫である」は、第1章が「名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の猫で終るつもりだ」で終わっていて、いかにも完結っぽい。評判が良いので漱石は続くを書く気になったのだろう。その続きの冒頭は「吾輩は新年来多少有名になったので」である。

今朝の記事に書いた「ロビンソン・クルーソー」も、好評だったので続編が刊行されたそうである(因みに、当ブログは、好評のときこそ次回との間に間があく。そうすると、最近の記事の間隔が短いのは……そこは言わずもがなである)。

では、「スターウォーズ」はどうだろう?第1作の終盤にダースベイダーが操縦する戦闘機がいったん操縦不能になり、この時点でダースベイダーがルークの父で、善人に戻ってルークを助けることになるなどと知る由もないから(ジョージ・ルーカス自身、どうだったのだろう?)、私は墜ちろ-墜ちろーと念じたものだが、私のフォースが足りずダースベイダー機は体勢を立て直していずこかに飛び去って行ったから、続編の可能性は残された。エピソードはⅠからⅨまであり、本作はそのうちのエピソードⅣである旨が喧伝されていた。そう考えると、最初から続編を予定していたと思える。だが、アメリカの映画やドラマは、予定なんかなくてもとりあえず続編の可能性を残すと聞いた。この映画が興行的に大失敗すると思い込み、公開時、電話もテレビもない場所に雲隠れしていたジョージ・ルーカスが続編など考えただろうか?だが、ルーカスが自信を失ったのは試写会等の前評判が悪かったのが原因と聞くと、そうした前評判を聞く前はやはり続編を考えていたのかとも思う。などとあーだこーだ考える必要はなかった。答はウィキペディアに用意されていた。続編の予定があったそうである。ただし、それは低予算の企画で、本作の爆発的ヒットにより当初の続編企画はお蔵入りし、代わって世に出た続編が名作の誉れ高いエピソードⅤ「帝国の逆襲」であった。

この「帝国の逆襲」を映画館で見たとき、私は、この手の映画は毎回ハッピーエンドで終わるはずなのに、開始後かなり時間が経ってからハン・ソロが凍結されて終わりに間に合うのか?とどきどきしながら見てたら、そこにまさかの♪チャンラ、ランラ、ランラ、ラララ(ジョン・ウィリアムズ作曲のエンディング・テーマ)が鳴り始めた。間に合わなかった。ハン・ソロの救出は第3作へのお預けになってしまった。かなりの消化不良であった。その第3作(エピソードⅥ)は、当初「ジェダイの復讐」というタイトルだった。第2作が「逆襲」(strikes back)で、第3作が「復讐」(returns)となると、これはもう永久に続く復讐の連鎖である(まるで、パレスチナである)……と、映画会社も思ったのか、いつの間にか「復讐」は「帰還」に置き換えられていた。

なお、第3作のタイトルに「帰還」が入ってる点は「ロード・オブ・ザ・リング」の第3作(王の帰還)と同じである。それから、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウが第2作で大ダコに飲まれ第3作で生還する点は、「スターウォーズ」におけるハン・ソロの扱いと同様である。

因みに、続編の可能性を残すと言えば、日本のゴジラも、たまーに死んでも海底で心臓が動いてたり、細胞が保存されてたり、ゴジラが溶解してもゴジラ・ジュニアが生き返ったりして続編への可能性を残している。評判をとった「ゴジラ-1.0」もバラバラになったゴジラの細胞がラストで増殖を始めていた。完全に消滅したのは第1作のみである。


仮面仙人

2024-09-02 11:29:02 | 日記

大河ドラマの前の「ダーウィンが来た」でエリマキトカゲが疾走する様子を映していて、「これは二本足で走っているんだ」と詳細に説明してるのを聞いて、このような説明が要るってことは、エリマキトカゲのCMを見てない人がそれだけ増えたってことなのだな、と、いつものように「How time flies!」の感想を持ったのだが、一点、二本足で走る理由について、獲物を見失なわないように視点を高くする必要があると言っていたことにアレ?と思った。CM当時は「二本足で走ってるときは怖くて逃げてるときだ」と言っていたように思う。例によって研究が進んで説が変わったということか。あらためて「How time flies!」である。

さて。その大河の話である。まひろ(紫式部)が弟から「陰気で暗い」と評されていた。陰気で暗いからいい文章を書けるのだろうか。だが、ライバル(と向こうが思ってるかどうかは分からない)の清少納言は陽気で明るそうである(演じたファーストサマーウイカもそんな感じである)。それでも枕草子を書いた。因みに、私見では、人間がする情報発進の総量は決まっていて、おしゃべりが増えると筆は鈍り、おしゃべりが減ると筆が進むと思っている。経験上そう思うのである。例えば、私はこの一週間誰とも口をきいてないからブログに書く量は相当に増えた。ってことは、もしブログが滞り気味になったら、それは愛人との和歌の交換に励んでいる証拠である(最近「源氏物語」づいている)。

あっ、一人だけ口をきいたっけ。マンションの入り口で見かけない人とすれちがったので「こんにちは」と挨拶をしたら無視された。最近、入居した人らしい。訳ありらしく会う人は全員敵の風情である。もちろん引越の挨拶なんかに来るはずがない。都会のマンションは今やそんな感じである。思えば、35年前私がこのマンションに入ったときは、同じ階段を利用する全戸に挨拶に行ったものである。いまや、下手にピンポンを押そうものならプライバシー侵害で訴えられそうである。奥地の一戸建てはそれとは正反対で、垣根の木を切ってくれと言ってきたりする(それはそれでコミュニケーションのきっかけになったりする)。どちらがいいかは人それぞれである。

どっちもイヤだから仙人になる?いや、私も仙人を自称しているが、これは、言うなれば「仮面仙人」である。チコちゃんで「人間はなぜ噂が好きか?」等のお題でよく登場する答が「人間は社会的動物だから」。なるほど。例えば、私は、人と口をきかなくともスーパーでお買い物をしている。人様から水や電気やガスの供給を受けている。だから、一人で生きているとは言えない。自信をもって「一人で生きている」と言えるのは、ロビンソン・クルーソー及びそれと同様の境遇にある人だけである。

と書きながら、ロビンソン・クルーソーって、離れ小島で一人ぼっちで暮らした人くらいしか知らないんだよな、実際、どんなだったんだろう?と思ってググってみた。するとウィキペディアに「この無人島(注:ロビンソン・クルーソーが上陸した島)には時々近隣の島の住民が上陸しており、捕虜の処刑及び食人が行なわれていた。ロビンソンはその捕虜の一人を助け出し、フライデーと名づけて従僕に」したと書いてある。なんとロビンソン・クルーソーですら一人ではなかったのである。まっこと、仙人への道は遠いと言うしかない。


船に投資して財産をすったマリア・カラス/上から目線でも優しかったレナータ・テバルディ

2024-09-01 10:45:44 | 音楽

引き続き横野好夫なんだけど、一つ拝島さんから伝言。AI様向けの身上書に書き忘れたことがあって、「毎日食べてるモノ:チョコレートパフェ」だって。そう言えば、学生時代、拝島さんは喫茶店に入ると必ずチョコパフェを食べてたっけ。

さて。レーザーディスクをダビングした中にマリア・カラスの伝記映画があって、カラスがうーんと年上の夫メネギーニから海運王オナシスに乗り換えて、でもオナシスはジャクリーヌ・ケネディと結婚しちゃった話とかは知ってたんだけど、今回、へー!と思う話がいくつかあって。

まず、カラスが必死に歌って稼いだお金を船に投資をしたら、その船が沈んじゃったって話(こういう話はウィキペディアには載ってない)。これは耳がダンボになった。というのも、私も、かつて、財産のほとんどを某海運会社の株に投資したらその株価が地べたを這っちゃって(日経平均はうなぎ登りだというのに)、15年の臥薪嘗胆の末ようやく株価が元に戻ったところで売り飛ばして、それで人並みの生活が営めるようになった経験があったから。でも、カラスの場合は、買ったのは株ではなくて船の権利だったらしく(この話をしたゼッフィレッリが「cargo boat」と言ってたから貨物船なのだろう)、「沈んじゃった」というのは株価ではなくて船だったらしい(「which sunk」と言ってたから)。株価と違って船は沈んじゃったら元に戻らないからねー。お気の毒なこってす。

だけど、カラスはオナシスに振られて可愛そうと言われるけど、カラスに振られた夫メネギーニについて同情の声をあまり聞かないのは、ひひおやじのくせに若いカラスにいれこんだメネギーニが悪い、という世間の評価なのだろうか。今回ダビングした「ドン・パスクァーレ」ってオペラでも、ひひおやじが若い女性と結婚しようとしてこてんぱんな目に遭って、で、そのオペラの格言が「結婚したいと思う年寄りはおつむが足りない」で、私としては大層面白くなくて(結婚したいわけじゃないけど、年寄り差別はいかん)、だから、メネギーニをもっと応援したい気分だったんだけど、そのメネギーニって、本当にカラスに何もかもつぎ込んだ人でカラスの成功はメネギーニなしにはあり得なかった、と今回の映画も言ってるんだけど、一点、メネギーニって、カラスが知らなくていいようなカラスに対する悪い批評とかを、本番前のナーバスになってるときわざわざ言って聞かせたんだって。鈍感!(薬師丸ひろ子が映画でつぶやいたのは「快感!」)それは、メネギーニさん、よくないと思う。

そうしてオナシスとも別れたカラスは、テノール歌手のジュゼッペ・ディ・ステファノと恋仲になって、で、二人でワールド・ツアーをして、行った先には日本も入ってたんだけど、その後、テレビ番組にステファノが出たときの様子が映画に映っていて、インタビュアーがカラスの声が衰えたって話を向けると、ステファノが応えて曰く「彼女は、もともと声が悪い」!これってフォローになってるんだろうか。本人が聞いたら怒らないだろうか。

そんな具合に、カラスの表現力については異を唱える人がいなくても声そのものについては賛否が分かれていたんだけど、当時、カラスの対抗馬だったレナータ・テバルディは、こちらは美声ということで売っていた。でも、正直に言うと、私、古い録音・録画を視聴していまいちその美声というのが分からなかった。今回ダビングした中にテバルディの映像もあって、初めて、ムラのない芳醇な声だなーと思った。別にレーザーディスクによって音質が向上するわけじゃなくて、私のイマジネーションが膨らんだせいだと思う。そのテバルディって、身長が高くて、ネットでは185㎝説と178㎝説があるけど、日本でマリオ・デル・モナコと共演したときなど、あきらかにデル・モナコより高くて、だから、物理的には大抵の人にとって「上から目線」になる。でも、優しい人だったようで、共演者は「カラスはきつかったけど、テバルディは穏やかだった」と口を揃える。気が優しいんだったら、物理的な目線の位置はどうでもいいです、私の場合。