本日ぶらぶらと上野界隈をあるき、国立博物館の「細川
家の至宝」展へ行って参りました!
今回の展示は国宝も含まれた素晴らしいものでした!
さすがに戦国期の荒波を生き抜き、皇族に古今伝授
を指導した家柄は、精神的背景がちがうなと思い
ました。ちなみに今回は、お土産売り場で「細川家
九曜紋の携帯ストラップ」を期待していったのです
が、残念ながら売っていませんでした。
替りにと言っては何ですが、国立博物館の担当の方に
無理をお願いし、参考出品「信長からの書状」について
資料をいただいたので、以下掲載します。
天正3年(1575)と天正6年(1578)、いずれも細川藤孝
に宛てられた書状です。
天正9年(1581)、こちらも細川藤孝(当時、長岡兵部大輔)あて。
本能寺の変の1年前に、信長公と藤孝が頻繁に連絡を
取り合っていたとは!
現代語訳は入手していませんので、見た方はご自身で
読み下しお願いします。ちなみに展示されていた現物は、
上下2つ折り、左右8つ折りの書状でございました!
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家の至宝」展へ行って参りました!
今回の展示は国宝も含まれた素晴らしいものでした!
さすがに戦国期の荒波を生き抜き、皇族に古今伝授
を指導した家柄は、精神的背景がちがうなと思い
ました。ちなみに今回は、お土産売り場で「細川家
九曜紋の携帯ストラップ」を期待していったのです
が、残念ながら売っていませんでした。
替りにと言っては何ですが、国立博物館の担当の方に
無理をお願いし、参考出品「信長からの書状」について
資料をいただいたので、以下掲載します。
天正3年(1575)と天正6年(1578)、いずれも細川藤孝
に宛てられた書状です。
天正9年(1581)、こちらも細川藤孝(当時、長岡兵部大輔)あて。
本能寺の変の1年前に、信長公と藤孝が頻繁に連絡を
取り合っていたとは!
現代語訳は入手していませんので、見た方はご自身で
読み下しお願いします。ちなみに展示されていた現物は、
上下2つ折り、左右8つ折りの書状でございました!
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