いち・に・山歩!! 

街・山、名所・イベント等、様々な場所に出没!
『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

1人高みのランチタイム   ~2019.2.22(金)

2019-04-03 20:05:25 | 山歩(さんぽ)2019

 平日のお休み。
何処かに行こうと思うものの、何処が良いか決まらない。
時間もどんどん過ぎて遠出は無理な時間に。

・・・眺めが良くて、静かに過ごせて・・・。

そうだ、あそこが良いかも!

 久々の小田急線秦野駅。
駅に有ったミスタードーナツは2018年3月で閉店したそうで、その旨の『閉店の案内』が窓に貼られていました。
その後のテナントは未だ入っていないんですね。
此処のミスタードーナツもそうですが、向ケ丘遊園駅前も古淵も皆20年以上の営業と言う中でも閉店に。
ミスタードーナツは、不採算店の閉店とか大きな変革の中に有るのかな?
私が利用していた古淵、相模大野、鎌倉皆閉店。
向ヶ丘遊園も閉店前に1回利用したし、この秦野店や渋沢店は山への行き帰りに利用していました。
あと、現役で利用するのは渋沢と八王子、橋本だけか。
近所に無くなってしまったのが残念です。

 昔利用した事が有るイトーヨーカドーの跡地は未だに更地のまま。
大きなスーパーが他に無かったので、貴重な存在だったとは思うけれど、駅から少し歩くのが難点だったのかな?
分譲住宅かマンションが建つのかな?
イトーヨーカドーが有ったと言う事が無くなってしまう様で、それも何だか寂しいな。

 突き当りの白い建物はそば・うどん屋さん。
1度山帰りに夕食を食べたのだけれど、現在は営業をしていない様子。
「此処もか・・・」と言う感じ。
 
 イトーヨーカドー跡地の南側に回り込んで再び駅の方へ。
目的地への入口を通り過ぎていたのだけれど、同じ道を戻るのもなぁ~と思い、違う道を行く事に。
 小さいお社が。
小田急線からだと秦野駅の少し新宿よりに見える小さなお寺(寿徳寺)の位置に有るお社。
線路からだと寿徳寺の裏に位置していて、この様な社が有る事は知らなかったです。
 社の入口左の玉垣に小さな緑のプレートが付いているのが分かるかな?
此れは住居表示なのだけれど、3-11番地だと言う事が分かります。

ん?お寺の門に住居表示が有るのは分かるけれど、この小さい無人のお社に住居表示・番地が有るんだね。

と言う事は、郵便物をこの番地で出すと、このお社に届くと言う事か!

 このお社の神様へお手紙を書くって事も出来るんだね。
何だか『鬼太郎の妖怪ポスト』の様な物にきちんと宛先が存在する様な感じ。

 自分が思い入れの有る神社であれば、書いてみたい気持ちもあるな。

 臼井戸公民館横の石塔。
双体道祖神と左は何だろう?
字も消えているし、針金を巻いて補強している程に風化、劣化が激しい。
左右の丸い石を重ねた物は?

 最初の目的地の弘法の清水。
この地を訪れた弘法大師が、一晩の宿を求め、その御礼に杖で地面を突き、水を湧かせた・・・と言う伝説が有る場所。

 こう言った杖(錫杖)で地面を突いたら・・・とか、弓で射たら…と言うのってよく聞くよね。
弘法大師が・・・っていうのは各地に有るし、お寺を開いたのは行基だったり、仏像も行基や弘法大師が彫った・・・と言うの各地に有る。
でも、弘法大師も行基も全国を歩き回った訳では無い。
行基やその一門達は、「国家の為の物であった仏教を民の為に」と言う事で布教をしていて、当初取り締まりの対象であったのが、後に認められたと言う歴史が有る。
でも近畿地方の話で全国ではない。
でも、そう言った話が広まって、旅の僧侶によって教えを受けた人々が、「あれは弘法大師様であったのでは」「行基様だったのでは」何て事になったのだろうと思うし、旅の僧が名を借りる事も有ったのかも知れない。
当時の僧侶は様々な知識を有している存在でも有ったので、湧き水が湧きそうな場所の知識とか、井戸の掘り方と言った知識を有している人もいたのかも知れない。
文化や学問の中心である都やその周辺から来たとなると、地方では未だ伝わっていない知識や技術を有していても可笑しくない。

 トイザらスが有った場所にはノジマの看板が。
「トイザらスも無くなってしまったのか」
と思ったら、道路右の看板には「トイザらス、ノジマ」の看板が。
トイザらスだけが入っていた建物にノジマも入ったと言う事の様です。
建物上の看板は、この位置からだと「ノジマ」の文字だけ見えますが、電信柱等で見え難い右側には「トイザらス」と書かれていました。

 弘法山公園入口。
此処から右に流れる橋を渡って山に入ります。
浅間山、権現山、弘法山と続く山ですが、権現山の斜面には城跡と見られる跡が近年見つかりました。
この川を堀と見ると、写真で分かる様に急な山なので、そう言った事も考えられるかなと。

 浅間山中腹にある平場の石祠。
昭和18年5月に建立したと彫られていました。
戦争が激化し、暮らしが厳しくなる中でどう言った思いで建てられたのかな?

 仲には木の板にマジックで『浅間大神』の文字が。
「お手製の御札」ですね。
浅間山の中腹に有る石祠で、浅間信仰の石祠なんですね。
浅間神社で御札を戴くと良いのだろうけれど、常時宮司さんが居られて、御札等の授与を行っている浅間神社となると、付近に無いと思う。
正月だけ地元の氏子さんが・・・と言うのなら有るかな?

 浅間山の山頂。
ベンチが有り、奥に四阿が有ります。

 四阿で昼食。
秦野駅の北欧パンで購入したパンです。
眺望は南側が見られるのだけれど、東側には尾根が連なり、海側の視界を遮っていて、180度の眺望とはいきません。
散歩の方も権現山迄行かれる方が多く、浅間山は素通りと言う方が多いので、1つのみの四阿のベンチは誰も居ませんでした。
ちょっと寒いけれど、目の前の木々の枝の間から見える麓の小田急線や街を見ながら、のんびりとした時間。
ぼ~っとするのに良い場所だなぁ。
仕事で色々有ってモヤモヤしていたのだけれど、少し楽になった感じ。
矢張り出掛けて正解だったなぁ~。
もう少し早く出発して、此処でもっと長く時間を過ごしたかったな。

 本を読んだり、日記や手帳に書き物をしたり、手紙を書いたり、物作りをしたり・・・そんな事をしても良いだろうな。
何と無く、何をするでもなく、目の前の景色を見ながら、外で時間を過ごす・・・って、思っていた以上に気持ちがリフレッシュされるんだなぁ~と。
それと、思っていた以上に色々溜っていたんだなぁ~と…。

 階段の補修作業をされている方々の横を通していただいて、権現山山頂に。
楼閣が目印で、小田急線の車窓からも良く見えます。
此処は一際高いし、南側に張り出していて、東西の尾根が下がっているので、眺望が良い場所です。
山頂も広いし、空が広い。
でも、その分人が多いので、浅間山みたいに1人で時間を・・・とはいかない。

 楼閣・展望台にこんな張り紙が。

「自衛隊訓練のお知らせ」
 日頃より弘法山公園にお越しいただき、誠にありがとうございます。
次の日程で自衛隊(9名)による位置確認訓練が行われます。
訓練内容に危険なものはございませんので、見かけた際はご安心くださいますよう、お願い申し上げます。
(日時)平成31年3月1日(金)【実施者】陸上自衛隊富士学校【その他】訓練の状況により、自衛隊関係車両が通行する可能性があります。

はて、『位置確認訓練』って、どんな訓練だろう。
「視界の地形や太陽の位置、磁石等から、自分が何処に居るのか導き出す」と言うのが訓練の名前の印象だけれど。
それだと、どの辺りに連れて来られたのか分かってはいけないから、訓練を受ける人は、目隠し、耳栓をして数時間どころか数日その状態で車だとか場合によっては飛行機とかで移動をして、元々居た場所から何十キロ、何百キロ先なのか想像出来ない状態にしなきゃいけないよな。
はて、正解は?
犬等の動物が、離れた場所から無事に戻ってきて、『帰巣本能』が有る何て話を聞くけれど、人間には僅かでも有るのかな?
太陽の位置とか、磁石とか地図とか、知識ではなく、感覚だけで動いたらどんな選択をするのかな?

 権現山を下った所に有るのが馬場道。
此処で草競馬が行われていたそうです。

 馬場道を行き再び上ると弘法山山頂。
馬場道の途中に有った案内には、周辺の植物や定点カメラで撮影された動物の事を記した場所が有り、野兎、狸、ハクビシン、猪の他に狐も撮影されていました。
丹沢でも数を減らしている狐が此処を歩いているのか。
見てみたいな。

 乳の水が出た井戸。
白く濁った水で、乳の出が良くなると言われていたそうですが、現在は金網が有って、釣瓶を下げる事は出来ません。
でも、横に手押しポンプ式の井戸が有ります。
山頂ですが井戸が有ると言うのは秦野が水の豊富な土地と言う事なのだろうな。

 山頂で出会った猫さん。

 鳥獣供養塔の前のどんぶりの横に鎮座。
鳥獣供養塔の番人みたいだし、どんぶりの番人の様でもある。(⌒∇⌒)
どんぶりは水や御供えを入れるのか、お賽銭を入れる物なのかな?

にゃ~「どっちでも良いニャ」
にゃ~「水より牛乳、牛乳より猫缶、猫缶より猫缶を沢山買えるお賽銭の方が良いニャ」



 弘法大師像が。
前回訪れた時は、建物内に段ボールやら何やら荷物が有って、物置状態だったのだけれど、この日はすっきりしていました。

 今回は初めて下る道を行く事に。
山頂のお地蔵さんと石塔の右側の尾根を下る道。
下って行くと写真の石塔が。

 石の上に有り、回り込むと木の板が。
「江戸時代、富士山信仰の盛ん・・・村の人々が富士山・・・」
文字も消えていて全部は読めないし、針金で巻かれて倒壊を防ぐ程に劣化が進んだ石塔。

 地面には折れて倒れた石塔の一部が。
梵字かな?
何とかしたかったけれど、重くて持ち上がらなかった。

 2カ所分岐が有ったけれど、南矢名八幡神社への道を選びました。
拝殿を覆う建物で、扉が閉まっていて、拝殿は見られなかった。
でも、この覆殿もなかなか大きくて迫力が有る。

 木の鳥居を潜って道に出ますが、根元がシロアリに食われて浮いた状態。
グラグラしていて何時倒れても可笑しくない危険な状態。
左手前の手水舎には『卍』が彫られ、昔は別当寺が有ったのかな?
調べたけれど分からなかった。

 東海大学前駅迄歩いて帰りました。

 

 

  

 

 

 


 

 

 



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