今回は画像なし。
7月15日(日)
親類宅へお邪魔しました。夏越祭があり、神事として茅の輪をくぐって参りました。
無病息災を願う祭りです。
親類宅には、九州から叔母と従兄弟、広島に僕はおるけども、もう一人の従兄弟も
帰って来ておりました。
夕食も一緒によばれてしまったのですが、その時、伯父から貴重な話を聞くことができました。
鍛冶関係の話ですが、今現在鍛冶道具を形見としていただき使わせておる訳ですが、
親類のおじいさん(故人。今生きておられたなら98歳)は、店(工房)を構える以前は
大手建設会社に乞われて、工事現場に赴き、作業現場で削岩機のビット(通称ノミ)を
修繕していたとのこと。(終戦直後の話)
つまり、渡り鍛冶と呼ばれる、店を持たない鍛冶屋だったと言うことでありました。
作業小屋も道具類もみな建設会社が用意したといいますから、待遇されていたのでしょう。
工事現場は終われば別の場所に移動するので、その度にその現場に乞われて行くという
案配だったようで、結局は、子供がおるし、そのたんびに変わるのはとてもやれんし子供が可哀想な、と言うて
やめちゃったそうです。
店を構えてからもしばらく、たびたび乞われたらしいです。
開店当時の営業品目
農具の製作、修繕。建設工具の製作および修繕。漁具の製作、瓦用工具の製作、修繕。ときに蹄鉄製造。家庭用打刃物製造。
燃料についても、昔ながらの松炭でやっていたけれども炭焼きさんがあまりいなくなったため、価格が上がって、
結局コストの安いコークスに変えたと言うエピソードも。
コークスで鍛えたものと松炭で鍛えたものと、同じ製品なのに全く異なる仕上がりになった、とオヤジが言いよった。
とも聞きました。
ハナシを聞き終えて、ふとした疑問が。
弟子入りした鍛冶屋はどこだったのだろう?
伯父に聞いても、解りかねるようでした。
これほどオールマイティに作っていたなんて…。
7月15日(日)
親類宅へお邪魔しました。夏越祭があり、神事として茅の輪をくぐって参りました。
無病息災を願う祭りです。
親類宅には、九州から叔母と従兄弟、広島に僕はおるけども、もう一人の従兄弟も
帰って来ておりました。
夕食も一緒によばれてしまったのですが、その時、伯父から貴重な話を聞くことができました。
鍛冶関係の話ですが、今現在鍛冶道具を形見としていただき使わせておる訳ですが、
親類のおじいさん(故人。今生きておられたなら98歳)は、店(工房)を構える以前は
大手建設会社に乞われて、工事現場に赴き、作業現場で削岩機のビット(通称ノミ)を
修繕していたとのこと。(終戦直後の話)
つまり、渡り鍛冶と呼ばれる、店を持たない鍛冶屋だったと言うことでありました。
作業小屋も道具類もみな建設会社が用意したといいますから、待遇されていたのでしょう。
工事現場は終われば別の場所に移動するので、その度にその現場に乞われて行くという
案配だったようで、結局は、子供がおるし、そのたんびに変わるのはとてもやれんし子供が可哀想な、と言うて
やめちゃったそうです。
店を構えてからもしばらく、たびたび乞われたらしいです。
開店当時の営業品目
農具の製作、修繕。建設工具の製作および修繕。漁具の製作、瓦用工具の製作、修繕。ときに蹄鉄製造。家庭用打刃物製造。
燃料についても、昔ながらの松炭でやっていたけれども炭焼きさんがあまりいなくなったため、価格が上がって、
結局コストの安いコークスに変えたと言うエピソードも。
コークスで鍛えたものと松炭で鍛えたものと、同じ製品なのに全く異なる仕上がりになった、とオヤジが言いよった。
とも聞きました。
ハナシを聞き終えて、ふとした疑問が。
弟子入りした鍛冶屋はどこだったのだろう?
伯父に聞いても、解りかねるようでした。
これほどオールマイティに作っていたなんて…。