その1 前回
▽前回ブログでの文章について書いていたらブログについてもう少し書きたいことが出てきた。
(只今ブログ開始後初の試みとして連載物の投稿に挑戦しています。この記事自体は単体で読んでも大丈夫なように書いていますが前回の記事が読みたい方は冒頭のリンクをクリックしてください)
そもそもなぜブログを始めたのか。
8年間も続いている、半ば習慣と化したこのブログを書くという行為ではあるが、きっかけとなるととんと覚えていない。
記憶を遡らせてみてもそれらしき出来事は思い出せない。
確かにブログを開設した中学校3年生の頃は携帯電話で作ったマイホームページの中で日記をつけている友人も何人かいた。
しかし当時すでに自分の少数派であることにアイデンティティを見出していた僕は、「みんな」に感化されて始めたものとはどうも考えづらいように思う。
幼稚園からの友人に「たかし」という名の者が2人いた。
二人ともインターネット上でのゲームや掲示板で会話をするのが好きで、片方のたかしはパソコンで自分のホームページを作る程であった。
インターネットに浸り始めたのは大なり小なり彼ら二人の影響によるところではあるから、もしかしたらそれがきっかけなのかもしれない。
それでも、そのネット好きの二人のたかしといえどもブログをやっていたわけではないから直接のきっかけになったのかと問われれば首を傾げてしまう。
では、いつものブログ記事の様に始めたきっかけでさえも「なんとなく」であったのかと思えば、
記念すべき一稿目に「とうとう始めてしまいましたよ」と記しているあたり常々書きたいとは思っていたようである。
▽始めたきっかけは思い出せないが続けている理由は今の自分に聞いてみればいいだけの話なので判然としている。
他人に話を合わせる必要がないからである。
僕はもともと口下手な人間だ。
同年代の子と共通する話題の少ないのが大きな要因であるように思う。
流行りの音楽はどこか心に響かないものの様に感じることが多くあまり聞かない。
テレビも大して面白いものがないと思い込んでいるためほとんど見ない。
ファッションにも親が買ってくれるものや兄からのお下がりで満足しているのでさして興味がない。
小中高と最新機種のゲームも持っていなかった。
これに関しては誤解を与えぬように注釈を加えておく。
最新のゲームを持っていなかったと書くと家が経済的に厳しい状況にあったのではと思われるかもしれないが、
必要性を感じなかったから持っていなかったにすぎない。
自分が楽しいと思ったレゴブロック等に関しては買ってもらえるまでねだった。
姉や兄が僕を甘やかし過ぎだと感じるくらいには買ってもらっていた。
何度も書くように我儘だったのである。
▽小中高と、そんな共通の話題になりうるものにことごとく興味の薄い僕は、あまり面白いやつとは思われていなかったように思う。
ただ自分と趣味が共通している人間とは話が弾んだ。よくしゃべった。
多くの時間を一緒に過ごし、僕と多くの「共通認識」を持った母には特に多弁であった。
恐らく少数派の人間が口下手、面白くないと思われるのは「みんな」の興味を持つことに関する知識が少ないせいだろう。
中高と卓球部のキャプテンを務め、多くの人と会話せざるを得ない立場になってからはなんとか相手との共通部分を見つける術を身につけて口下手は克服したと思っているが、
それが僕にとって楽しいものだったのかと問われればおそらく楽しくはなかったのだろう。
自分が本当に楽しいと思っていることがなかなか口にはできなかった。
▽だからブログを書くのである。
周りに自分の考えていることを知ってもらい、共通認識としてしまえば自分のしたい話ができる。
そこに遠慮はいらない。
面白くない、読みたくないと思えば無理して最後まで読んでもらわなくてもいい。
どうぞ好きなタイミングでブラウザを閉じるなり戻るボタンを押してくださいというだけの話である。
会話には流れがある。相手の顔色を判断して面白くなさそうであれば話を変えねばならない。
「あいつとの話しは盛り上がらない」というような共通認識はお互いに持ちたくないものである。
ブログであれば自分の言いたいことを言いたいだけ書ける。
自分が読んで楽しいと思えるものだけを書けばいい。
辛いことは書かなくていい。
そういったわけでこれからも僕はブログを書き続けるのである。
▽前回ブログでの文章について書いていたらブログについてもう少し書きたいことが出てきた。
(只今ブログ開始後初の試みとして連載物の投稿に挑戦しています。この記事自体は単体で読んでも大丈夫なように書いていますが前回の記事が読みたい方は冒頭のリンクをクリックしてください)
そもそもなぜブログを始めたのか。
8年間も続いている、半ば習慣と化したこのブログを書くという行為ではあるが、きっかけとなるととんと覚えていない。
記憶を遡らせてみてもそれらしき出来事は思い出せない。
確かにブログを開設した中学校3年生の頃は携帯電話で作ったマイホームページの中で日記をつけている友人も何人かいた。
しかし当時すでに自分の少数派であることにアイデンティティを見出していた僕は、「みんな」に感化されて始めたものとはどうも考えづらいように思う。
幼稚園からの友人に「たかし」という名の者が2人いた。
二人ともインターネット上でのゲームや掲示板で会話をするのが好きで、片方のたかしはパソコンで自分のホームページを作る程であった。
インターネットに浸り始めたのは大なり小なり彼ら二人の影響によるところではあるから、もしかしたらそれがきっかけなのかもしれない。
それでも、そのネット好きの二人のたかしといえどもブログをやっていたわけではないから直接のきっかけになったのかと問われれば首を傾げてしまう。
では、いつものブログ記事の様に始めたきっかけでさえも「なんとなく」であったのかと思えば、
記念すべき一稿目に「とうとう始めてしまいましたよ」と記しているあたり常々書きたいとは思っていたようである。
▽始めたきっかけは思い出せないが続けている理由は今の自分に聞いてみればいいだけの話なので判然としている。
他人に話を合わせる必要がないからである。
僕はもともと口下手な人間だ。
同年代の子と共通する話題の少ないのが大きな要因であるように思う。
流行りの音楽はどこか心に響かないものの様に感じることが多くあまり聞かない。
テレビも大して面白いものがないと思い込んでいるためほとんど見ない。
ファッションにも親が買ってくれるものや兄からのお下がりで満足しているのでさして興味がない。
小中高と最新機種のゲームも持っていなかった。
これに関しては誤解を与えぬように注釈を加えておく。
最新のゲームを持っていなかったと書くと家が経済的に厳しい状況にあったのではと思われるかもしれないが、
必要性を感じなかったから持っていなかったにすぎない。
自分が楽しいと思ったレゴブロック等に関しては買ってもらえるまでねだった。
姉や兄が僕を甘やかし過ぎだと感じるくらいには買ってもらっていた。
何度も書くように我儘だったのである。
▽小中高と、そんな共通の話題になりうるものにことごとく興味の薄い僕は、あまり面白いやつとは思われていなかったように思う。
ただ自分と趣味が共通している人間とは話が弾んだ。よくしゃべった。
多くの時間を一緒に過ごし、僕と多くの「共通認識」を持った母には特に多弁であった。
恐らく少数派の人間が口下手、面白くないと思われるのは「みんな」の興味を持つことに関する知識が少ないせいだろう。
中高と卓球部のキャプテンを務め、多くの人と会話せざるを得ない立場になってからはなんとか相手との共通部分を見つける術を身につけて口下手は克服したと思っているが、
それが僕にとって楽しいものだったのかと問われればおそらく楽しくはなかったのだろう。
自分が本当に楽しいと思っていることがなかなか口にはできなかった。
▽だからブログを書くのである。
周りに自分の考えていることを知ってもらい、共通認識としてしまえば自分のしたい話ができる。
そこに遠慮はいらない。
面白くない、読みたくないと思えば無理して最後まで読んでもらわなくてもいい。
どうぞ好きなタイミングでブラウザを閉じるなり戻るボタンを押してくださいというだけの話である。
会話には流れがある。相手の顔色を判断して面白くなさそうであれば話を変えねばならない。
「あいつとの話しは盛り上がらない」というような共通認識はお互いに持ちたくないものである。
ブログであれば自分の言いたいことを言いたいだけ書ける。
自分が読んで楽しいと思えるものだけを書けばいい。
辛いことは書かなくていい。
そういったわけでこれからも僕はブログを書き続けるのである。
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