▽栃木観光をし、大阪で友人Tに会い、島根に帰ってきました。
旅行中はパソコン開けなかったのでブログの更新はできませんでした。
島根にインターネットのできるパソコンはあるので更新します。
▽お彼岸です。
秋の彼岸。
お盆に帰ってこなかったのでせめて彼岸には。
先祖にも親にも不孝者の私であります。
先祖を奉れ親拝め。
▽今日(2014年9月23日)は祝日。
母方の実家、西蓮寺にてお彼岸の御法座。
せっかくなので住職である叔父のお話を聞かせていただきつつ、お手伝いでもできればと思い参拝。
▽庫裏(くり。お寺の住職やその家族が住む場所)の玄関に入ると立派な屏風がお出迎え。
お寺っぽいというよりは日本家屋っぽいという感じです。
▽前回お参りしたのは3年前の春。大学に入る直前でした。
裏でお斎(おとき。お寺で法事の時に出されるごはんのこと)を作る祖母たちの手伝いをしていて、
祖母と一緒に食事を作っていたおばちゃん(おばあちゃん)から「えらいねぇ」だか「立派だねぇ」だか褒められた記憶があります。
私はその時、謙遜のつもりで「おばあちゃんのお育てによるところです」だか「おばあちゃんの育てがよかったからです」というように応え、
祖母を喜ばせました。
今思うと全然謙遜になってなかった。
けど未だに祖母に会うと必ずその話が出るので、それはそれでよかったかなと思っています。
▽今回は変なことを口走らないように炊事場にはいかず、ずっと本堂のあたりでご住職(つまり叔父)と総代さん(門徒さんの世話役的存在)のお手伝いをしていました。
田舎のお寺の法座と言うのはすごく結束力が強いですね。
お参りに来る人みんなが知り合い。お友達。お仲間。
だから普段あまり行かない自分なんかが出て準備やら写真撮影やらを身内顔で(身内なんだけど)していると、
「あれは誰だ。」
「ご院家さん(ごいんげ。住職の意)の隠し子ではないか。」
などという門徒さんたちからの心の声が聞こえてくる様。
何人かには直接「どちらさんですかね?」と聞かれました。
何者かを名乗ると「あー、くみちゃん(母のこと)とこの。この度はお世話になります」という丁寧なあいさつをいただけます。
お世話なんていうたいそうなことはしてないんですが。
住職の甥だからか、くみちゃんの子どもだからか、
門徒さんは私のことをよく知らないうちからさも「徳のある人」のように振る舞ってくださいます。
身に余る光栄。
それにしても三年前よりも雑談する力がついてきました。私。
話の切り上げ方を掴んできたというところでしょうか。
▽お念仏の後の住職によるお説教。
実は今回の参拝の理由の一つに「住職の話し方を学ぶ」というものがありました。
もちろんお説教の内容もしっかり聞こうと思っていましたよ。
けれど近々後輩たち相手にプレゼンをするご縁をいただきましたので、ぜひ本職の話し方を参考にさせてもらおう、と。
しかしやはりお話のプロ。格が違いますね。
話す内容ももちろんですが、やはり話し方で人を引き付ける。
身振り手振りもですが、間の取り方が絶妙。
そして説教中に門徒さんからあがった声にも耳を傾けて話を進めていらっしゃる。
一体となっている様な感じがありました。
これは褒め過ぎですかね。
近づきたいものです。とりあえず間の取り方から修行しましょう。
▽お寺の裏に咲いていたこの時期にピッタリな彼岸花で本日は締めとさせていただきます。
このポツリポツリと咲いている感じが風流な気がします。
とか知った顔で書きましたけど「風流」ってなんですか。
旅行中はパソコン開けなかったのでブログの更新はできませんでした。
島根にインターネットのできるパソコンはあるので更新します。
▽お彼岸です。
秋の彼岸。
お盆に帰ってこなかったのでせめて彼岸には。
先祖にも親にも不孝者の私であります。
先祖を奉れ親拝め。
▽今日(2014年9月23日)は祝日。
母方の実家、西蓮寺にてお彼岸の御法座。
せっかくなので住職である叔父のお話を聞かせていただきつつ、お手伝いでもできればと思い参拝。
▽庫裏(くり。お寺の住職やその家族が住む場所)の玄関に入ると立派な屏風がお出迎え。
お寺っぽいというよりは日本家屋っぽいという感じです。
▽前回お参りしたのは3年前の春。大学に入る直前でした。
裏でお斎(おとき。お寺で法事の時に出されるごはんのこと)を作る祖母たちの手伝いをしていて、
祖母と一緒に食事を作っていたおばちゃん(おばあちゃん)から「えらいねぇ」だか「立派だねぇ」だか褒められた記憶があります。
私はその時、謙遜のつもりで「おばあちゃんのお育てによるところです」だか「おばあちゃんの育てがよかったからです」というように応え、
祖母を喜ばせました。
今思うと全然謙遜になってなかった。
けど未だに祖母に会うと必ずその話が出るので、それはそれでよかったかなと思っています。
▽今回は変なことを口走らないように炊事場にはいかず、ずっと本堂のあたりでご住職(つまり叔父)と総代さん(門徒さんの世話役的存在)のお手伝いをしていました。
田舎のお寺の法座と言うのはすごく結束力が強いですね。
お参りに来る人みんなが知り合い。お友達。お仲間。
だから普段あまり行かない自分なんかが出て準備やら写真撮影やらを身内顔で(身内なんだけど)していると、
「あれは誰だ。」
「ご院家さん(ごいんげ。住職の意)の隠し子ではないか。」
などという門徒さんたちからの心の声が聞こえてくる様。
何人かには直接「どちらさんですかね?」と聞かれました。
何者かを名乗ると「あー、くみちゃん(母のこと)とこの。この度はお世話になります」という丁寧なあいさつをいただけます。
お世話なんていうたいそうなことはしてないんですが。
住職の甥だからか、くみちゃんの子どもだからか、
門徒さんは私のことをよく知らないうちからさも「徳のある人」のように振る舞ってくださいます。
身に余る光栄。
それにしても三年前よりも雑談する力がついてきました。私。
話の切り上げ方を掴んできたというところでしょうか。
▽お念仏の後の住職によるお説教。
実は今回の参拝の理由の一つに「住職の話し方を学ぶ」というものがありました。
もちろんお説教の内容もしっかり聞こうと思っていましたよ。
けれど近々後輩たち相手にプレゼンをするご縁をいただきましたので、ぜひ本職の話し方を参考にさせてもらおう、と。
しかしやはりお話のプロ。格が違いますね。
話す内容ももちろんですが、やはり話し方で人を引き付ける。
身振り手振りもですが、間の取り方が絶妙。
そして説教中に門徒さんからあがった声にも耳を傾けて話を進めていらっしゃる。
一体となっている様な感じがありました。
これは褒め過ぎですかね。
近づきたいものです。とりあえず間の取り方から修行しましょう。
▽お寺の裏に咲いていたこの時期にピッタリな彼岸花で本日は締めとさせていただきます。
このポツリポツリと咲いている感じが風流な気がします。
とか知った顔で書きましたけど「風流」ってなんですか。
まぁ、それの八割以上は理解しているんだろうけど(^^)謙虚な姿勢でしょうかね。