▽ある雨上がりの朝、下宿の駐車場でたばこを吸っていると
ランドセルを背負った少年が一人「こんちは!」と挨拶をしてくれた。
彼とは顔見知りである。
わたしのたばこを吸うタイミングと、通学のために彼がわたしの下宿先の前の道を通るタイミングが被れば
一言二言交わす。
彼は遅刻しそうでどれだけ急いでいようと挨拶だけはしてくれる。
名前も学年も知らない。
向こうもわたしが一人暮らしであることと通学路にあるアパートに住んでいることくらいしか知らないだろう。
ちなみにアパートという概念を彼に教えたのはわたしである。
「ここに住んどるん?」
「そだよ。」
「マンション?」
「いや、アパート。」
「アパート?」
「そう。うーんと、マンションより安い。」
「へー。」
「部屋が台所の他に一つしかない。」
「ひとつだけ?」
「君んところはもっと部屋があるでしょ。」
「うん。」
「だから安い。」
「へー。」
「学校かね。」
「うん。」
「いってらっしゃい。」
「うん。」
これが彼との初めて且つ一番多く言葉を交わした時の会話だ。
彼に正しいアパートの概念を伝えられたかはわからないが、
彼が不動産関係の仕事にでもつかない限りは問題ないだろう。
そもそも交わした会話を覚えているかがわからない。
会話とはそういうものだ。
誰としたか、どんな口調だったかなんてことはすぐ忘れてしまう。
残るのは自分が得た情報の断片だけ。
今回ならば「アパートは安い」という情報は彼の頭に割合根強く残るのだろうが、
その情報をいつ入手したのか、どうやって入手したのかまで覚えておく脳の容量も必要もないだろう。
世界にはもっと彼にとって有益な情報に溢れているのだから。
わたしがもっと奇抜な格好をしていたり、面白いことを言ったのならばもう少し別の覚え方にもなるのかもしれない。
しかしわたしは夏はジーパンTシャツの、冬はジーパントレーナーの、たばこをくわえた適当な喋りのお兄ちゃんである。(オジサンではないはずだ。そう願う。)
いずれ彼がアパートとマンションの正しい明確な違いを説明されたときに
「なんとなくアパートは安いものだと思っていた」
という思いこみの、「なんとなく」の部分にわたしという個は存在している。
▽話を戻すと、その雨上がりの朝も彼から挨拶をしてくれた。
いつもランドセルから下げた水筒に母親の愛を感じさせる、素直な少年である。(家族構成と性格については想像だが。)
雨上がりの朝、とは言うが日が射していたわけではない。
雲は低い位置にあったし、湿度も高かった。
普段雲の少ない岡山では珍しい。
雲が少ないと夕方から急激に冷え込む。シャワーを浴びるために服を脱ぐのさえ少したじろぐ。
朝なんて布団から出られたもんじゃない。
しかしその日の朝はその低い雲のおかげでさほど放射冷却もされず、湿度の高さもあって、上着を羽織らず外に出ることができた。
アスファルトも水気が乾ききっていないまだら模様。
いつもイス代わりにしているコンクリの低いブロック塀も、座るのを躊躇するくらいにはしっとりしていた。
また降り出しそうな天気である。
そんな中元気に挨拶をくれた彼は、傘を持っていなかった。
「こんちは!」
「こんちは。傘なくて大丈夫?」
彼は歩を止めることなく(スピードは若干緩めたが)にっこり頷いて、学校へと向かった。
なるほど、晴れるのか。
徒歩で食堂へ行くか自転車に乗って行くか迷っていたが、自転車で行くことにした。
歩いてきたら歩いて帰らなければならない。
これは、よく朝ごはんを食べに行く食堂のレジのおばちゃんに説いてもらった真理である。
行きは元気だ。気持ちも新鮮。
歩くのは何にも問題がない。
帰りは、へとへとという状態はあまりいないにしても多少は疲れている。少しでも早く帰りたい。
動くのは面倒だが立ち止まるのも面倒、できれば座り込みたいがそうしたところで家に着くわけでもないから動く。
その時間が自転車の倍近くもあるのが徒歩の厄介な所である。
散歩で歩くのとはわけが違う。
自然を観察する気も、星を眺める元気もない。
できることなら自転車で行って自転車で帰りたい。
いや、本当にできることなら家から一歩も出ずに暮らしたいのだが、そういうわけにもいかないので敢えて出かけるなら移動手段は自転車にしたい。
そんなわたしにとって、その少年の傘が必要ないという判断は本日の自転車移動を肯定するありがたいものであった。
▽朝食後。
食堂を出ると本格的な降雨である。
やはりあの雲の低さは降らせるタイプのものであった。
そもそも彼は傘がなくても平気というだけで、降らないとは一言も言っていない。
というか厳密には「傘なくて大丈夫?」という問いかけには「一言も」答えていない。にっこり首を縦に振っただけである。
それを「平気。」なのだと、「傘がなくても大丈夫。」なのだと勝手に判断したのはわたしである。
しばらく雨が止むのを待って、弱まったのを見計らい次の目的地へと自転車で移動した。
▽午後三時。
曇は依然低いが雨は降っていなかった。
彼の下校の時間はこれくらいではないかと推測する。
平日のその時間にアパートにいることは稀なので正確な下校時刻は知らない。
自分の過去と照らし合わせた推測である。
小学校という屋根つきの建物に週五日、半日軟禁される彼に傘はやはり必要なかったのである。
置き傘をしていただけかもしれないが。
ランドセルを背負った少年が一人「こんちは!」と挨拶をしてくれた。
彼とは顔見知りである。
わたしのたばこを吸うタイミングと、通学のために彼がわたしの下宿先の前の道を通るタイミングが被れば
一言二言交わす。
彼は遅刻しそうでどれだけ急いでいようと挨拶だけはしてくれる。
名前も学年も知らない。
向こうもわたしが一人暮らしであることと通学路にあるアパートに住んでいることくらいしか知らないだろう。
ちなみにアパートという概念を彼に教えたのはわたしである。
「ここに住んどるん?」
「そだよ。」
「マンション?」
「いや、アパート。」
「アパート?」
「そう。うーんと、マンションより安い。」
「へー。」
「部屋が台所の他に一つしかない。」
「ひとつだけ?」
「君んところはもっと部屋があるでしょ。」
「うん。」
「だから安い。」
「へー。」
「学校かね。」
「うん。」
「いってらっしゃい。」
「うん。」
これが彼との初めて且つ一番多く言葉を交わした時の会話だ。
彼に正しいアパートの概念を伝えられたかはわからないが、
彼が不動産関係の仕事にでもつかない限りは問題ないだろう。
そもそも交わした会話を覚えているかがわからない。
会話とはそういうものだ。
誰としたか、どんな口調だったかなんてことはすぐ忘れてしまう。
残るのは自分が得た情報の断片だけ。
今回ならば「アパートは安い」という情報は彼の頭に割合根強く残るのだろうが、
その情報をいつ入手したのか、どうやって入手したのかまで覚えておく脳の容量も必要もないだろう。
世界にはもっと彼にとって有益な情報に溢れているのだから。
わたしがもっと奇抜な格好をしていたり、面白いことを言ったのならばもう少し別の覚え方にもなるのかもしれない。
しかしわたしは夏はジーパンTシャツの、冬はジーパントレーナーの、たばこをくわえた適当な喋りのお兄ちゃんである。(オジサンではないはずだ。そう願う。)
いずれ彼がアパートとマンションの正しい明確な違いを説明されたときに
「なんとなくアパートは安いものだと思っていた」
という思いこみの、「なんとなく」の部分にわたしという個は存在している。
▽話を戻すと、その雨上がりの朝も彼から挨拶をしてくれた。
いつもランドセルから下げた水筒に母親の愛を感じさせる、素直な少年である。(家族構成と性格については想像だが。)
雨上がりの朝、とは言うが日が射していたわけではない。
雲は低い位置にあったし、湿度も高かった。
普段雲の少ない岡山では珍しい。
雲が少ないと夕方から急激に冷え込む。シャワーを浴びるために服を脱ぐのさえ少したじろぐ。
朝なんて布団から出られたもんじゃない。
しかしその日の朝はその低い雲のおかげでさほど放射冷却もされず、湿度の高さもあって、上着を羽織らず外に出ることができた。
アスファルトも水気が乾ききっていないまだら模様。
いつもイス代わりにしているコンクリの低いブロック塀も、座るのを躊躇するくらいにはしっとりしていた。
また降り出しそうな天気である。
そんな中元気に挨拶をくれた彼は、傘を持っていなかった。
「こんちは!」
「こんちは。傘なくて大丈夫?」
彼は歩を止めることなく(スピードは若干緩めたが)にっこり頷いて、学校へと向かった。
なるほど、晴れるのか。
徒歩で食堂へ行くか自転車に乗って行くか迷っていたが、自転車で行くことにした。
歩いてきたら歩いて帰らなければならない。
これは、よく朝ごはんを食べに行く食堂のレジのおばちゃんに説いてもらった真理である。
行きは元気だ。気持ちも新鮮。
歩くのは何にも問題がない。
帰りは、へとへとという状態はあまりいないにしても多少は疲れている。少しでも早く帰りたい。
動くのは面倒だが立ち止まるのも面倒、できれば座り込みたいがそうしたところで家に着くわけでもないから動く。
その時間が自転車の倍近くもあるのが徒歩の厄介な所である。
散歩で歩くのとはわけが違う。
自然を観察する気も、星を眺める元気もない。
できることなら自転車で行って自転車で帰りたい。
いや、本当にできることなら家から一歩も出ずに暮らしたいのだが、そういうわけにもいかないので敢えて出かけるなら移動手段は自転車にしたい。
そんなわたしにとって、その少年の傘が必要ないという判断は本日の自転車移動を肯定するありがたいものであった。
▽朝食後。
食堂を出ると本格的な降雨である。
やはりあの雲の低さは降らせるタイプのものであった。
そもそも彼は傘がなくても平気というだけで、降らないとは一言も言っていない。
というか厳密には「傘なくて大丈夫?」という問いかけには「一言も」答えていない。にっこり首を縦に振っただけである。
それを「平気。」なのだと、「傘がなくても大丈夫。」なのだと勝手に判断したのはわたしである。
しばらく雨が止むのを待って、弱まったのを見計らい次の目的地へと自転車で移動した。
▽午後三時。
曇は依然低いが雨は降っていなかった。
彼の下校の時間はこれくらいではないかと推測する。
平日のその時間にアパートにいることは稀なので正確な下校時刻は知らない。
自分の過去と照らし合わせた推測である。
小学校という屋根つきの建物に週五日、半日軟禁される彼に傘はやはり必要なかったのである。
置き傘をしていただけかもしれないが。
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