“存在する” ということ〜私たちの生命ひとつひとつが天の川銀河の緻密な均衡を保っている
私の父は70年代、80年代を働き盛りの世代として過ごしました。
子供の時から貧しく、大学に進学したくてもできなかった父にとって、家族にお金の苦労をさせないことが家族への愛の形でした。
だから私が物心ついた頃には父は残業ばかりで家にいない人でした。
早く帰ってきても、イライラしてて、しかめっ面で、怖くて、私にとっては家にいて欲しくない存在でした。
そんな父も歳の離れた弟が生まれると、心を入れ替えたように家族との時間を大切にする様になりました。
父を避けるように過ごしていた思春期の私に対しても、辛い思いをさせて悪かった、と詫びてくれるほどでした。
そんな父ですが、私が23歳の時に単身赴任先の海外で脳内出血で亡くなったのです。
その頃には私も父に心打ち解けていて、働き尽くめの父が1人海外で暮らすことを心配していました。
そんな矢先の突然の死の知らせ。
父は実家の親兄弟のためにも、自分が築いた家族のためにも、本当に身を粉にして働き尽くめの人生を送りました。
そんな苦労ばかりの父の人生って、いったい何だったのだろう、そう思い、胸が込み上げてきた時、私の視界の前に宇宙のビジョン〜星屑がキラキラと集まったように見える天の川銀河〜がひろがって見えました。そして、その星屑の集合体を目にした時、思ったのです。この星屑の一粒一粒は、私たち個々の生命そのものなのだと。
この星屑は、一粒でも欠けると均衡が崩れてしまう、それほどに、微妙なバランスで星屑は存在し、この天の川銀河の均衡は保たれているのだと。
父の生命はこの一粒の星屑に等しく、父の生命が欠けていたら、この天の川銀河も成り立っていなかった。それくらいに、私たち一人一人の生命はこの天の川銀河全体、そして宇宙全体にとって、尊く、欠くことのできないものなのだと。
そして、そんな父の生命は、私に生命を繋いでくれたのだ。
存在し、生命を繋いでくれた、、、。
それが父が存在した価値なのだと。
父は苦労したかもしれないし、大変な人生を送ったかもしれないけれど、存在することで宇宙的存在意義を全うし、しかも私に生命を繋でくれたのである。
そう思った時、父の人生がどうあったにせよ、それでよかったのだと、全て受け入れられたような気がしたのです。
人はどうしたって欲があるために、時に生きることに絶望を感じることもありますが、究極、“存在している”、それだけで宇宙的にみれば十分なようです。
〜私たち人間一人一人は、天の川銀河を形成する組織の一部である。〜