“死は全ての終わりではなく、私たち人類に与えられた宇宙の慈愛”
“死” というと表現するのがとても難しいテーマで、どう書けば良いのか分からず、何度も書いては消し、をしばらく繰り返していました。
「無理に書かんでも、、、」と手をとめていると、“死” というキーワードが日常に溢れてきて、やっぱりこれは
「死というテーマと向き合いなさい」
ということなのか、と思い直し、自分なりに向き合ってみました。
数年前、Aさんという方から、Bさんがお亡くなりになったというメールをいただいた時のことです。
メールを読んでいたら、目の前に宇宙空間が広がりました。
宇宙空間の中のどこかはわからないのですが、“端っこの方” にいるように感じました。
目の前には落ち着いた感じの赤い光に包まれた星雲があったのですが、その星雲以外の星々は遥か遠くの方です。“宇宙の端っこの暗闇の中に赤い光の星雲がポツンとひとつある”、そんな感じでした。
そして、その赤い星雲は、死を司っている、そのように感じました。
人間にとっては、全ての終わりを意味する死、でも、その星雲にどんどん近づいていき、そして星雲の内側を覗いた時、そこにはオレンジ色に近い、暖かい光があふれていて、、、
あぁ、これは宇宙の慈愛なのだ、、、
そう思いました。
“死” は、宇宙の慈愛なのだ、と。
〜肉体から離れた魂は、宇宙の愛に包まれる。〜
この、宇宙の慈愛を、どう書いたら良いのか、すごく悩みました。でも、宇宙的愛という以外、なかなか説明できる言葉が見つかりま
せん。
本来、“死” は、地獄に行くでも、天国に行くでも、狭間に行くでもなく、愛に帰る、、、そのようなものなのかな、と。
死というものを深く捉えて考え、理解するよううながされているのかな、そのように思いました。
死は宇宙の慈愛、と書くと、死を称賛しているかのようにひびくかもしれませんが、どうか、安易に死を選ぶこととつなげないでほしいと思います。
どんなに苦しいことがあったとしても、今ある生命はあなたがこの地球に生まれたくて、選び取ってきた、奇跡の生命です。
なので、どうか、今ある生命を大切に扱ってください。
最後に、今回死について書いていて思ったことがあるので、追伸:
政治的なことになりますが、「憲法9条改正」と言ってますが、私は、私の子供たちを戦わせたくはありません。
戦いに巻き込まれないよう最善を尽くすのが国政を司る方々の本来のお役目でしょう、と思います。
なのに、“言い寄られるがまま”、国民の生命を“差し出して” おられる。
戦っても戦わなくても、私たちの生命、そして子供たちの生命が、“差し出されている” のに変わりはありません。
第二次世界大戦の時と同じように、国民が無意識のうちに戦いに駆り出され、結果戦争責任を負わされ、国がつぶされかねない運命をたどるのが目に見えています。ならば、戦わずに平和と平安を祈ります。そして私たち、子供たちの生命を守ります!
私たち国民を戦いの渦に巻き込み、そして国が潰されかねないような法案には絶対反対です!
ということで、終わりにします。
ではでは
#わたしたちの生命って誰のもの?
#その法案が通ってうまい汁を吸うのは誰?
#過去と同じことしてていいの?
#現実にも目を向ける
#現実と見えない世界は比例している
#宇宙の慈愛
#宇宙の愛
アスカプロジェクトさんがされているシャスタの水を守る先住民の活動をサポートするための支援活動です。
私自身、昨年から
国(や土地)、民族の魂と繋がる、というメッセージを頻繁に受け取っています。
今回シャスタの水の精霊のメッセージを受けて、国や土地、民族の魂と繋がる、というのは、
目には見えないけれど、国のために、土地のために働きかけてくれている存在(国や土地、民族を司る存在)があり、
それらが存在していることに気づくこと、
それらの存在の働きによって生かされているということに意識を向けること、
そして感謝すること
ということなのかな、と思いました。
“繋がる” ことで、お互い(私たちと土地を司る存在たち)を応援し合うエネルギーになるのかな、と。
これは、シャスタだけではない、私たち日本人にも投げかけられていることなのではないかな、と。
今回のシャスタのプロジェクトに関して、関心のある方はお手数ですが、
https://www.askaproject.com/shasta-knock-at-the-gate
を検索の上、内容を確認、応援していただければと思います。