「だったら自民党以外どこがいいんだ?」
「自民党の憲法改正案にどのような改正案を提示するのか?」
「どのような対案を出せるのだ?」
さて、こういう問いは聞き飽きている。
これらの問いの意識の政治はなんだろうか?
権力にある者、社会秩序の上位にある者を批判にさらす者に対して、それではお前は、どういう秩序を作ってくれるのか、という問いである。
あるいは今現在権力にある者、社会秩序の上位にある者に対して批判的な立場にいても、とりあえず生活できるからとか、賛同しても社会の変化に不安を感じるので、その不安を払拭することができる秩序を与えて欲しいという、問いでもある。
両者は本質的に同じ心理である。前者は後者が持つ不安の上に立って自己を支える。後者は前者の補完勢力になる。
加えて文化的には、両者パターナリズム(父権主義、温情主義)であるから、前者は父権主義の父権側として支配し、後者は温情主義でどうにか与えてもらおうというメンタリティを抱えている。
そのため現状の体制維持を補完するのである。もちろん無関心は同様潜在的な補完勢力である。
— 適菜収bot(新刊『コロナと無責任な人たち』。メルマガもよろしく) (@tekina_osamu) June 17, 2021
哲学者の適菜収さんのTweetを引用させてもらった。
対案は簡単だ。
自民党お断り。菅お断り。
それでは対案にはならないと・・・?。常識ある人にってだけなんだけど。まあ皮肉な批判をしているだけだって?。皮肉は民衆の知性の現れです。