芸人の上岡龍太郎さんが亡くなった。享年81歳とのこと。
ご冥福を祈ります。
僕は自宅に上岡龍太郎著『引退 嫌われ者の美学』(青春出版社2000年、弟子吉次郎との共著)を持っている。正直ファンであった。こんなYoutubeがあるので貼ってみる。
憲法9条について語っている。本気か芸なのかは、判然としないが(それが芸なのであろう)、憲法9条批判に対して、命をかけてみせると憲法擁護をしてみせる。ある意味ぐうの音も出ない言論である。
襲われたらどうする。皆そこで命を守りたいとなるが、命以上に大切な徳があることを話芸で切ってみせる。そもそも現在の芸人にはテレビ芸として、テレビの枠組みの中で求められる話芸をするだけである。しかし上岡龍太郎は、テレビタレントとして一時代を築きながらも、その程度の枠を乗り越えて見せる。
自分を香具師のように言うが、嘘八百の中に庶民の知性が風刺として刻まれる。そして、現在では存在しない話芸である。
こんな人だったと思う。「政治家とか言う連中は何のために存在するのか分ってない奴が多すぎる。政治家で強いモンの味方する奴なんか最低ですよ、強い奴はほっといても生きていけるんやから。そうじゃなく、弱いモンの味方せえよ。そやなかったらお前らの存在意義は何なんや?ちゅう話でね」
実に民主主義的な発言である。芸人というのは、普通の人が声を大にして言えないことを言う。そういう存在だったでしょう。
ネットを散見すると、何が正しいか間違っているかと正義を述べようとする。一見正しいように見える。しかしながら、近代国家において、民主主義を守るなら、民衆の側に、弱者の側につくのは、当然である。正義が民衆を殺すのである。それが平等である。
上岡龍太郎は、嘘八百を述べるのだが、弱者側に就くことを手放さない。だから芸に風刺が組み込まれるのが必然であるが、同時にもともと漫画トリオでナンセンスな笑いを提供していた。
現在の芸人は社会風刺とは距離を取る。そのため「オフザケ」に終始している。つまりはナンセンス。「オフザケ」は社会的文脈あるいは政治的文脈を逸脱するということではなく、無視すところから始まるので、社会風刺にはならない。つまりユーモアに広がりがなく、社会性がない中だけで行われる。
時代のせいだということではない。そういう時代だからこそでもある。
社会や政治を切る、弱いモンの娯楽そのものである。