Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

引き裂き措置を強行した人々と機関①〜地域包括担当と福祉事務所

2024-12-07 12:50:53 | 病状要因と経過
前回から続き、この日記は過去に「引き裂き措置」を一方的に強制した・強行した人々や機関の事を綴っていきます。

地域包括と福祉事務所担当

わたしは2019年に父を亡くしました。このとき、父は、透析に毎日通う糖尿病末期癌を患っていました。

同時に、

母も糖尿病脳梗塞があり、

両親ともに介護の必要だった状態で、わたしだけしか身内はいませんした。

父の死後、

わたしは父の入院費用と、火葬葬儀代諸々の支払いをし、

かつ、

直ぐ後に危険な状況となる母の為に、休むまもなく働き、手続きに走りまわりました。

2019年、

介護のために自分が借りていた部屋を完全に引き上げるための引っ越し費用を支払い、

父の死後の精算、母の入退院費用など、年金では追いつかない面をわたし一人が補うため、

経済的に余裕がない状態

でした。

そして、

この時に、掛け持ちをしていた1つの仕事をやめて

実家に帰らないといけなかったので、結果、収入も減っており(実家まで終電に間に合わない)、

父亡き後の精算をする上に「貯金」がなくなった上に「収入」が減ってしまっての困窮という状況になりました。

そして、

2020年には母も状態が悪くなり、脳梗塞発作がたびたび出て、何度も救急車を日夜に呼ばなければいけなくなりました。

さらに、病院へ行き来するために移動費医療費が増して、それに伴って、

わたしが働いて母の年金で足りない分を補わなければいけない

という状況になりました。

父の死によって後の諸々の精算をわたしだけで行い、経済的に貯金がなくなった上に、

直ぐ母のほうも危険な状態となっての状態で、非常にいっぱいいっぱいの『介護困窮』となってはおり、

介護をしないといけないけれど、わたしが経済的な立替や補助をしないといけない

という

板ばさみ的な状況

となり、

他に親族も身寄りも無かったため、一人で全てをする事には『限界』という状態

でした。

しかし、

新しく始めた在宅の仕事と、実家の近くで見つけた夜間の仕事で、この非常に『介護困窮』であった時期をしばらく持ちこたえてはいました。

そして、

母はこの年に入退院を繰り返して、最終的に、

糖尿病の血糖値抑制』と『脳梗塞を起こす脳血管拡張手術』の為の入院をすることにもなり、

首にステントを入れるカテーテルを使った大きな手術を受けることになりました。

一時期は、

とても生命が危ない状況

でありましたが、

たまたま研修に来ていたと思われる優秀な外科医に生命を救ってもらい、退院しました。

この時の入院費もわたしが立替えて補助して、かつ、退院後の通院の移動費や、必要経費の諸々を、

娘のわたしが全て一人で精算

しました。

もうこの時点にも、

働きづくしの上に介護で、経済的、肉体的にも余裕があるものではありませんでした。

それだけでなく、

メンタル的でも、父を亡くした痛みと、立て続けに、母も非常に危険な状態を繰り返した事

で、

常時不安な状況が繰り返されて、わたし自身が心身共に疲弊

もありました。

しかし、そうはいってもいられませんでした。

継続して、

この厳しい現実に向きあって、一人で全てをこなさなければいけない状況である事実

は変わらずにあり、

限界

が来ることはわかっていても、なるべくしてならざるを得ない、

ほかに救いの道もなかった(これを援助する福祉もない)

ので、

悪化するいっぽう

になっていきました。

わたしは、

昼は在宅仕事をしつつ母の介護をしました。さらに、夜は近所での夜間の仕事をしました

休む暇もなく働かなければいけず、介護や入院手続き、考えなければいけない事も沢山で、

常時に母を心配、常時、極度に不安状態の状況でした。

母は、

退院後すらも、まだ不安定な状況が続き退院後も何度か救急車を呼ばなければいけない

という状況になっていました。

心身共、経済的にもしんどいけれど『いっときも安心出来ない』という状況で、グリーフケアすらも出来ていず辛かったです。

わたしは、

わたし自身が「擦りへらされていっている」というのは、十分感じていました。

それでも、やるしかない状況なので踏ん張ることをしていました。

しかし、

わたし自身の押し殺してきた疲弊の限界は、もう、体の悲鳴として出てきてしまうようになりました。

はじめは、

腰と手と肩の激痛

でした。

わたしはもうここで立ち上がれない状況で、歩けば足を引きずっているようになり、

母を抱きかかえるときにも痛みで涙がポロポロ出ながら、必死に介護していました。

母は母で、

手術の為に入院した退院後に、入院中に弱った筋力が気になる状況ではあって、

膝の関節も固まりつつあったという別の問題が出てきていました。

この状況で、

母は、まったく立ち上がれないという問題からと、術後経過観察の後の再度様子見も必要となって、

また再入院

をする事になりました。

わたしは、

自分も朝にベッドから起き上がれず、痛みで涙が出るくらいではあったので、

母の退院後の在宅ヘルパーの相談

をしたいと思いました。

この時は、腰だけでなく、手や肩にも症状も激痛を伴っており、身体中がおかしくなっていました。

この時に、

相談先を市役所にて伺ったところ、「自分達が住むエリアの管轄の地域包括センター(請負)」で指定なされており、

自分でここが良いと相談する窓口ではなく、市によって指定限定された状況でした。

その地域で指定限定された地域包括担当で、まず状況の聞き取りがありましたが、

経済的介護困窮」と「在宅介護の母の希望」は全てお伝えし、

母自身の年金だけでは高額な施設入居もできないので、在宅介護在宅訪問医療のサポートを行ってほしいとお伝えもしました。

しかしながら、

地域包括担当は、自らが担当する施設入居をあくまで推し勧めて、かつ、「6から7万でステイ出来るから」と、大丈夫、大丈夫、と言いました。

わたし達自身の『希望』は何も聞いていない、関係すらないかの様に、

自らの専属の特別養護老人ホーム(ケアセンター、デイケア一括配備)を何度も何度も推し勧めました

しかし、

この金額約束すら

後になって、

ギリギリの断れない状況になって「間違えた」と覆されて、さらには「連れて帰れば虐待」と脅されました。

今思えば、

はじめから、金額をわざと非常に安く言って、「安く出来るから」と「他にはないから」と、

自らの担当施設のみを無理に提示・無理強い

した上に、

計画していたかのように、

母の退院ギリギリで「やっぱり10万以上は掛かります。間違えました。」と覆しました

さらに、

これは明らかに計画して、福祉事務所担当まで連れてきており、「連れて帰れば虐待」と福祉事務所担当に脅させて、

他の施設を希望しても、在宅医療サポートを希望しても、この担当のいう施設でないと絶対にいけないといわれて、

地域包括と福祉事務所担当は、本人と家族の意思も状況も全く持って無視されたうえで、出来ないことを無理に強行されました。

↑これについては、

もう明確に、担当ら自らの担当施設への入居を強制して、他の施設には行かせない

という、

担当自らの利益に準じた、本人意思や家族の説明を完全無視したものでした。

この事は、癒着して結託した囲い込みと見え、同様のことは「どちらの行政窓口でも」で同じく繰り返しに行われる事にもなっていきました。

さらに、

自分たちの案内不備さえ、すべて『わたし』のせいになすりつけられる事、=引き裂き措置の強(狂)行をする

というおかしな強制的強行になっていきました。

続く












コメント
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