24日の午前5時頃、東京・渋谷区道玄坂の路上で喧嘩の仲裁に入った通行人の20代の男性が刺されたニュースを見ました。
喧嘩をしていた男の誰かが、仲裁した男性の背中を刃物で刺し、彼らはその場からタクシーで逃走し、警視庁が傷害事件として行方を捜査中・・・。
この仲裁に入った男性は、たまたま通りかかったらしく、男らと面識もないが、何かの思いでそうさせたのでしょう。
背中やひじなどを刺されたが、命に別状はないらしいです。
朝の時間帯で、人の通りが少なかったにせよ、喧嘩の仲裁をされた人物が“何者”であろうと敬意を表します。
結果的に本人が大怪我をしてしまったが、誰も死ななかったのです。
それにしても、口を出すなで“背中”を刃物で刺す行為は許せません。
私の知識では、確か“背中+無抵抗+数回刺す行為”なので、殺人未遂になると認識していますが・・・。傷害事件程度では済まないはずです。
おい!ウルトラ~なぜこの話題なの?
もっと放射能が茨城県の涸沼の天然ウナギを駄目にしたことや、オスプレイの問題について取り上げろとの声が聞こえてきそうですが、放射能は最初からの想定であり、オスプレイは近日中に触れます。
忍君は、オスプレイの次・・・メスプレイはいつくるの?と真顔で語っていましたが・・・。
決して、どうでもよさそうな問題に触れているのではありません。
この手の乱闘が、早朝でも街中で発生していることに注目して欲しいのです。
いつどこで犯罪が発生するかは誰もわかりません。
そして、犯罪は予想していなかったところで突然起こることが多々あります。
電車のホーム、人ごみの中、バスの中・・。
回避するには、行かない、近づかない、見ないの3原則ですかね。
そして逃げるを実践することです。
武道の究極は“逃げる”だと私は思っています。
この話題は誤解を生みそうなのでゆっくり、いつか触れますね。
でも、正義感や昔も自分はそうしたとの親心で、仲裁しようとする行為に共感をもっている人がいるのなら、少し覚悟が必要になります。
ここから先は、仲裁することを望んでいる方だけ読んで欲しいと思います。
今回の一件は、大勢の喧嘩を仲裁しているようなニュースでしたが、程度から考えると“口論”の最中か、喧嘩が始まったばかりだったのかなと推測します。
仲裁しようとする人は、自分が中立だと思って安心していますが、実はどちらかの回し者と思われるケースや、両方から最初に“標的”にされる危険性があります。
そして、人数が掌握ができないので、気付いたら怪我、刺されているということもあるかもしれません。
刃物なんか振り回してたら、不用意に近づかずに、周囲の見ている仲間に協力を求めるとか、間合いをしっかりとる必要があります。
町の道場なんかで武道を学んでいるくらいでは、この手の乱闘は無力であることを認識しなければなりません。(実践なんちゃらと、喧嘩は性質が違います)
始めと、止めの号令はありませんから・・・喧嘩は。
そして、そこにいる全員を叩き潰す覚悟が無ければ、中には飛び込まないことをお勧めします。
仲裁が成立するには、“あっ、この人にはかなわない・・・怖いのが出てきた”等の意識がなければ無理であることも知っておいて下さい。
高校生の喧嘩に、一般の方が辞めなさいといってもどうでしょうか?
これが大柄の警察官数名とヤクザさん(チンピラ除く)が来たらどうでしょうか?
それが人間の本能なのです。
たった一人でも、相手側が負けると思ったら、そこに大勢居ても無力化するのです。
“伝説のみぃーちゃん”は、やんちゃな通称暴走族のみなさんを・・・・ヤクザに向かって・・・。
ピー音が出るので書けませんが・・・。
ただし、叩き潰す覚悟という意味を誤解しないで下さい。
言葉で制止するなら、第三者の協力(集団の中で会話が出来る人、警察官への通報)。
乱闘の中に入るなら、しっかりと押さえ込めるような腕がないと自殺行為になりますよと言いたいのです。
簡単に言うと、大人と子供の差が無いと仲裁は無理なんです。
眼光、止めようとする時の握力、威圧感、話し方、体格・・これらの違い。
また、中途半端は、かえって相手に怪我を負わせてしまいます。
人間は本能で動きますから、動いた結果について良いだの駄目だの言うつもりはありませんが、これから更に暑くなるにつれ、この手のトラブルが身近なところで発生することを心の片隅に置いておいて下さい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます