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一本の大きな木

2014年09月25日 | 日記

強制代執行によって伐採された、高さ12m、幹周り2.5m、樹齢100年以上のヒバの木 

  ネット動画と同一なのか不明ではあるものの間違いなさそうです。

 この動画を通して地権者が感情的になっている様子が記録として残っております。

  

本ブログの趣旨はこの地権者の感情的な部分のみスポットライトをあて私の意見を述べる場でもありません。

  また、その他一方向からだけ見たようなことを言うのも避けたいと考えます。

   よって地権者と社会のシステムについては別とし、“1本の木”に対する考えについてだけ言わせていただきます。

 

ここから本文になります。

  

圏央道の開通が工事遅延によって遅れています。

  

この道路の早期開通を願う私も、その一人です。

 現在は、長野県や山梨県に出かける際には桶川、または川越I.Cから入ることになるのですが、そこまで行かずとも楽に行けるようになるからです。

 また、開通することで東北道に接続されますので流通が効率化され、利用者は移動範囲の選択肢も増え、その経済効果が期待できるのです。

  

この道路工事が遅延していたのは民主党時代に土地買収が滞って足踏み状態となり、殆ど休工状態でした。

  

その理由は地権者からの土地購買が思ったより難航したためです。

  ですが、道路一本、その拡張によりお金が驚くほど動きます。

  

政権が自由民主党になってから、これを驚くような速さで促進した結果、当初難航していた土地買収が9割以上促進され、ほぼ問題がないというニュースが流れました。

  

そんな中、今年の7月になって関連するようなニュースがとりあげられました。

 以下はその記事です。

 

国交省関東地方整備局と東日本高速道路(NEXCO東日本)は23日、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の桶川北本インターチェンジ=IC(桶川市川田谷)~白岡菖蒲IC(久喜市菖蒲町)間(10・8キロ)の事業用地内にある民家1戸について、5月19日の明け渡し期限を過ぎても立ち退きに応じないとして、土地収用法に基づいて県に「行政代執行」を請求した。

 

開通は本年度の見通しだったが、来年度に変更となった。

 

同整備局によると、両IC間の整備に伴い、11年9月から同法に基づき手続きを進めてきた。13年9月に県収用委員会が同法に基づき権利取得と明け渡しを求める裁決をした。

 

裁決以降、計4回にわたり文書などで期限内の明け渡しを求めた。

 

今後の工事の支障になり、地元住民や沿線自治体などが早期開通を望んでいることから、行政代執行を請求することにした。

 

上田清司知事は「本年度内の開通が厳しい状況となったことは大変、残念。県内の経済にとっても大きな痛手である。

 

来年度の早い時期に開通できるよう、速やかに適切な対応をしたい」とコメントした。

 

という内容のものでした。

  

結果的に8月15日にヒバの大木は伐採され、100年以上の歴史を終えました。

 よく日程のことは分かりませんが、8月15日という日を選ばなければならなかったのでしょうか。

  

人ではなく、“ただの木”の立場で個人的な意見を言っています。

  

戦前、戦後。

  

終戦記念日として定められたその日が木(自分)の最後とは。

 

1本の「松の木」 を希望にしている人もいるのに残念です。

 

あるネットユーザーが次のことを記していました。

 

400歳のどんぐりの樹。

ほんとうの名前はスダジイ、桶川市指定天然記念物1号です。

上越新幹線建設のため移植。

今度は圏央道が隣を通してくれ、と言っています。

行き止まりの側道(付替え市道)分まで強制土地収用に。

明渡日が決まる前に発表された 圏央道14年度開通はムリなんですw

元気で長生きできるようにどうか助けてください」

  

これは本当の内容ではありませんでした。

 

この土地がぶつからないように避けるような計画が当初あったようですが、結果は立ち退きのようで、地権者はそれに腹を立てているようにも見えました。

  

我々からすると“一軒の家の1本の大きな木”のことで興味を持つ必要なんかありません。

 

お金がもらえるのに意地になって動かない人は滑稽です。 

 

埼玉県も桶川市も国民も全員迷惑として考えています。

 

当然ですよね。

 

ただ私は間逆に立って言います。

 

 

1軒の1本の木を持った家でも、国民であり、市民であることだけは知って欲しいと思います。

 

100年を超える樹齢の木を、たかが1本の木として考えることは自由です。

 

ただ、この木は種から育ち、1世紀以上を生き抜いてきた歴史の証人です。

 

そして周辺の人もその木を見て育って来ました。

 

その家の人は自分の祖先をその木を通して感じていたのではないでしょうか。

 

私も実家の山に1本の木を田舎を去る前に植えています。

 

今でも元気に育っています。

 

帰ったときに“ただの木”なんですが、変んな会話をします。

 「元気かよ、チビっコ」と。

 相手はかなり大きくなっていますが、向こうから「チビお前もな」、とは答えませんが。

 

そんな数々の思い出の“ただの木”がチェーンソーでズタズタにされる光景はどうだったのでしょうか。

 

そういう私も家に住み、木のスピーカーは最高と人間らしいことを平気で感じています。

 

私たちは人の不幸を見ずして自分たちの幸福だけを期待しているのかもしれません。

 

これが私たちの目指している幸せの形であることも。

 

この道路を通るとき“自然破壊と人の歴史を奪ったという大きな代償”があったことを忘れないことが、これから未来へ進む私たちの大きな責任です。



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