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犬と日本社会

2014年09月25日 | 日記

先ずは記事を読んで欲しい。

 

※この画像はその犬とは関係ありません。

〔記事前文〕

《千葉県袖ケ浦市のテーマパーク「東京ドイツ村」(同市永吉)のドッグランに今月13日、高齢の小型犬が置き去りにされているのが見つかった。

 

後日届いた「引っ越して飼えなくなった」とする飼い主からの謝罪の手紙には、持病の薬が同封されていた。

 

ドイツ村は、従業員らに引き取り手がいないか探したが見つかっておらず、担当スタッフは「ドッグランは犬の捨て場ではない」と憤っている。



ドイツ村によると、置き去りにされていたのは、体長約35センチ、体重3・6キロの雄のシーズー犬。



13日午後2時ごろ、園内のドッグラン「わんちゃんランド」で、利用者から「あの子の飼い主がいないみたい」と問い合わせがあり、従業員が確認すると、小型犬エリアの隅に座っていた。

 

飼い主の帰りを待つかのように、駐車場の方をじっと見つめていたという。場内放送で迎えに来るよう促したが、飼い主は現れなかった。

 


保護していたところ、18日ごろになって飼い主と思われる人物から手紙が届いた。

 

氏名や連絡先はなかった。



手紙には「名前カール、5月28日生、12歳」とあった。

 

さらには、犬を飼えない所に引っ越し、引き取り手を探したが見つからなかったことや、保健所へ連れて行く前にドッグランで遊ばせようとし、他の犬と遊んでいる姿を見て「ここなら楽しく過ごせると思い、思わず置いて来てしまった。

 

申し訳ありません」などと謝罪文が書かれていた。「心臓が悪い」と粉薬も同封されていた。



 カールは現在、ドイツ村で預かっており、従業員の石川百合子さん(64)らが散歩に連れて行くなど世話をしている。手紙にあった通り、高齢で心臓に持病があるためか、当初はせきが出ていたが、届いた薬を飲ませると良くなった。

 

人なつこく元気で、石川さんが名前を呼ぶと小走りで駆け寄ってくる。



2010年3月にドッグランがオープンしてから初めてのことだといい、ドイツ村は「あまりにも理不尽。二度とこんなことをして欲しくない」と憤慨。

 

引き取り手を探している石川さんは「ドッグランは捨て場じゃない。ひどい。散歩に連れて行くと、いつも入り口付近でうろうろするので、いつか迎えに来るのを待っているのだと思う」と話していた。》

 

 

 

 

このような内容なのですが、あなたはどう感じましたか。

 

 

 

私はペットを飼われている方、飼っていない方とで意見が分かれるとは思っていません。

 

 

酷いとか、可哀想と思う人、仕方がないと考える人がいるはずです。

 

 

ただ、残念なことであるという意見は同じはずです。

 

 

 

私も犬を飼っていますが、犬は犬であって何年経っても犬のままです。

 

 

その付き合いを今もしています。

 

 

私が主人、向こうは犬。

 

 

どうすると犬が喜ぶとか、悲しむとか、すべてわかっている人は世の中にはいないと考えます。

 

 

尻尾を振るのがなにかということです。

 

 

ここで私を殺したくなった愛犬家がいると誤解されそうですから話をしますが、私はこの記事を読んで私もある意味同じことをしたことをあらためて感じました。

 

 

田舎から関東に出て来て犬を飼うなんて思ってもいませんでしたが、もう既にMブルとは9年以上の付き合いになります。

 

 

しかし、田舎には私の犬がいました。

 

 

この犬は近所の方から譲ってもらった犬で、生まれて直ぐよちよち歩きのころから育てました。

 

 

実家で最後を看取ってあげたのですが、話を聞いて切なく、犬が犬でないという気持ちになりました。

 

 

私がいつも帰る時間には、寂しそうに玄関前で待っていたそうです。

 

 

ハチ公じゃないですが、秋田犬の血を引く犬なので主人だけ良くなついたのかもしれません。

 

 

こんな犬とも“事情”によって別れを避けることは出来ませんでした。

 

 

 

だから私も一緒なのです。

 

 

 

 

この人に意見する、しないの選択は私にはありません。

 

 

 

世の中で大学、就職、転勤で、どうしてもその犬と別れることを苦渋の選択で決断しなければならない人はいます。

 

 

 

川に捨てたのでもなければ、山に捨てたのでもありません。

 

 

 

しかし、苦渋の決断でそこに捨てたのです。

 

 

 

どのタイミングでドックランから出たのでしょうか。

 

 

 

後ろ髪を惹かれる思いで泣きながら去ったと思います。

 

 

 

12年も一緒にいたのですから。

 

 

 

この犬は私はある意味これまで幸せだったと思います。

 

 

 

本来であれば亡くなっていたはずなのに、飼い主が治療の選択をして生きながらえているのです。

 

 

 

昔であればそんなに長生きは出来ません。

 

 

 

どんな気持ちで持病の薬と名前を書いてその場所に送ったのでしょうか。

 

 

 

長々と申し訳ないことを書いていたと思います。

 

 

ただ、そのことが許せないという気持ちからスタッフが理解できないのは当然です。

 

 

 

 

理解する必要もありませんから。

 

 

 

ただ、経済的に大丈夫な親がいて犬が飼えるのか、この人に兄弟・姉妹がいて委ねられるのかという選択肢があったのか。

 

 

犬がとてつもなく嫌いな人がいます。

 

 

この犬種は毛がほとんど抜けず、適度にシャンプーすれば臭いはしない犬です。

 

 

受け取り手がいなく、時間がなく、苦渋の選択をした結果が他人からみたら身勝手とも言える行動だったと私は思うのです。

 

 

捨てたことだけ新聞で取り上げられ、世の中の人がこの飼い主を攻め立てていますが、各都道府県の保健所のホームページをご覧になって下さい。

 

 

 

そこに犬と猫の情報が毎日あります。

 

 

だれかが身勝手な理由、やむを得ずそうしています。

 

 

 

 

 

 

どんな理由かあっても、人はそれを“捨て犬・捨て猫”といいます。

 

 

 

 

 

犬と猫は法律が変わって遺失物法の適用外となりました。

 

 

 

この捨てられた犬はずっと主人を待ち続けます。

 

でもずっと人間不信になるでしょう。

 

 

一方でこの犬の主人は、これから永遠に心臓を締め付けられる思いを一生背負って生きなければなりません。

 

 

 

どちらだけ幸福ではなく、どちらも不幸なのです。

 

 

 

 

ただ世の中の社会システムに転勤という選択肢があり、指示に従わない場合はどちらも路頭に迷うことになりますのでもっと不幸になります。

 

 

 

 

デパート、ホームセンター内に犬等のペット売り場が多くありますが、飼う人を選択していません。

 

お金があるか否かで選択しています。

 

ペットショップの方には申し訳ありませんが。

 

 

 

外国では罰則を設けている国もあります。

だから飼う前に強い意志が必要になるのです。

 

 

 

抱っこさせて購買意欲を求めることはどうかなと感じます。

売るというシステム上しかたがありませんが。

 

 

 

入学、転勤、老衰、入院、不慮の事故等の理由により、どうしても犬と分かれるしかない場合もあるということを、ほんの少しでも理解して欲しいと願います(それを正当化するつもりはありません。不幸そのものですから)。

 

 

 

 

 

犬はたしかにペットです。

 

 

 

 

でも玩具ではありません。

 

 

 

 

 

かわいいという衝動は理解できます。

 

 

 

 

 

ただ、私たちと同じように生きています。

 

 

 

 

 

犬として。

 

 

 

 

 

現在の場所で留まることが出来ない、出来たとしても家族がいない場合は、飼うのを止めて下さい。

 

 

 

 

 

 

私はそうは言いません。

 

 

 

 

今の日本社会で犬は犬なりにその役目を古から引継ぎ、私たちの癒しになっています。

 

 

 

飼うのであれば飼えなくなったときに、その犬を自分はどうするのか、どうできるのか、どうしてしまうのかという結論だけは最初にはっきりしておいて下さい。

 

 

 

愛犬のバカ犬とバカ主人からの願いです。



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