ライブドアのホリエモンの口癖で、「想定」という言葉があった。
これを最近良く耳にする。
政府、学識見識者等である。
大地震の発生も原発の事故も、現在までの研究した結果に基づいて結論付けられている、あくまでも「予測」である。
予測は、結果ではない。
想定というのは、これから将来起こる物事の予測の範囲である。
地球相手に勝負しようとするのは愚かなことである。
いくら研究をしても、地震を止めたり、台風の進路を変えたりすることは、現在の人類には不可能なことなのである。
今回の大震災と原発の事故は、想定の範囲を超えたのではなく、そうなることは絶対にないと「確信(慢心)」した、研究者たちの予測がはずれただけなのである。
それを想定の範囲を超えたと彼らは言い切るのだろうか。
なんでも数値に置き換えたがる性格なのであろうか?
私たちにできるのは、今後の考え方として、安全と言うのは「想定」を超えたところの対応を意味し、無駄と感じる大きな準備をすることだけである。
自分たちの安全ではなく、未来の人たちへ「安全」を送るということである。
新聞で、被災地の9日前に亡くなられた市議会議員の話があった。
この非難通路を作れ、作ってくれと嘆願し、それが今回、児童たちの生命を救ったのである。
誰もが、無駄と感じた通路である。
少し前まで日本は、「水と安全はただ」であるという概念があった。
今は、どうであろうか?
安全対策は、無駄を削った分だけリスクが大きくなることを・・・。
そのリスクが人命でないことを祈る。
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