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前後と賛否

2014年09月19日 | 放射能汚染

 

今週、テレビのニュース等で国道6号線の通行禁止区間となっていた道路が、復興の証とでも言いだけに開通されました。

 

自分の会社に通勤する方や、その他業務で3倍以上も遠回りしている人たちを考慮すると止むを得ずの選択でもあったのかもしれません。これらを考えれば喜ばしいことなのかもしれません。

 

しかし私は思うのです。

 

なぜ、そこをこれまで通行禁止としていたか。

 

理由は簡単で危険であるから通行を禁止とせざるを得なかったのです。

 

ではなぜ今回開通したのか?

 

安全になったからであろうか?

 

どうも違うようです。

通行する方は車両に限られ、窓を開けず、エアコンは車内循環をお願いしているのです。徒歩、バイクでの通行は禁止としていることからも、十分危険であることがうかがえます。

 

そして、そこを警備している警察官、なにかの依頼によって警戒している警備員の姿がテレビに映し出されましたが、特段放射能対策はしていないようすでした。

 

彼らの基準は特別区のような基準なのでしょう。

 

国民から復興の兆しが全体的に可視化されていないことを考えれば、道路が一番わかりやすいもののひとつなのでしょうか。

 

ただいえるのは、茨城県等からの建設資材等の搬入も、一般道路を使用するかしないかでも大きく違ってくるのは明白です。

 

だからこそ指定車両に限って通行するように規制を出来なかったのでしょうか。

 

放射能数値が至って高いって表現はその周辺の作物、海の状態はどうなのか、とても不安でもあります。

 

前に出ることが必ずしも前進ではなく、時として逆行していることもあると私は思います。

 

前に出ても後ろに下がっても一歩です。

 

誰のための一歩なのか、そこに留まるのは何かの一歩ではないのか?

 

安全な道でないのに前に一歩なのでしょうか。

 

よく考えて対処して欲しいと願います。

 

今回のような事案に対してどの程度の期間を要するのかを明確に示していないことが、県民、国民の不安と焦りになっているような気がします。

 

正しく伝えないとそうなります。

 

それを誰が悪人になって伝えるべきだったのでしょうか。

 

国民の盾にならない政治家、後ろに国民をつけることしか考えず、時としてその人たちと真逆側にたってでも対処することの進むべき道を諭すのもリーダーの役割であると思うのです。

 

先を急ぎ過ぎて復興を課題とすることを本当の趣旨とせず、政治的なことを主体としているのでしょうか。

 

そうだとしたら残念です。

 

誰のための復興なのかを考えると路頭に迷いそうです。

 

日本国民のすべてが被害者なのに“誰がために鐘はなる”のでしょうか。

 

是非とも福島県の現在の正しい情報についても通行禁止とせず“通行可能”として欲しいものです。

 

 



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