退避勧告の意味は説明するまでもありません。
日本国が示している、命令です。
あまり触れたくなかったのですが、意見を述べます。
新潟県のフリーカメラマン魂満々な、一人の正義感のある方が、今、世界でもっとも危険地帯である、イスラム国の現状を探るため、シリアへの渡航を計画したが、国(外務省)によって阻止された。
これを彼は不服とし、報道の自由等を制限するものとして、国を批判しています。
さて、みなさんはどう思ったのでしょうか。
エボラ出血熱、昨年は公園でデング熱で立ち入り制限、御嶽山で大勢の人が死んでいます。
彼は、どの範囲までが安全であるかを認識していない様子であるといえます。
その理由は、イスラム国が報道されることによって統制が乱れることを嫌っていること。
そして日本人をターゲットにしたことです。
故 後藤さんが渡航した時期と比較すると、明らかに危険度が高まっています。
ジャーナリストがその周辺で撮影機材を並べている写真を送ってきて、私たちは“その外”にいるというメッセージまで発信していてる最中、一人の国民を危険地帯に行かせられるわけがありません。
許されなくて当然です。
後藤さんを渡航させてしまった外務省が叩かれているのに、何を勘違いしたのでしょうか。
ジャーナリスト・フリーカメラマンは尊敬しますが、一人の国民であることを思い出して欲しいものです。
流れ弾に当たるのではなく、“銃弾が自身に向けられている”事実を知ってほしいものです。
危険レベルが一層高まった状態では、渡航することが自殺志願者と等しいものなのです。
それを止めるのは政府として当然の仕事です。
なぜなら、国民の生命、身体、財産を守る責務があるのです。
大体、渡航禁止、注意喚起等、外務省で正式に発表されているのに、何を騒いでいるのでしょうか。
今回だけは、政府を日本国民の一人として、支持します。
これは戦争ではなく、一方的に仕掛けられている各国の不平不満を持った、多国籍テロ集団が結集した、仁義無き無法地帯なのです。
後ろ盾しているのが中国ではないかとの噂もありますが、行動しているのは2万人とも言える会話の成立しない集団です。
カメラを持っていようがいまいが、格好のターゲットになり、死ぬときに神、仏に願っても誰も助けることは出来ません。
なくなられた方が誰かを助ける為という大義名分は、正しかったかどうかは私には理解できません。
その行動は意見の分かれるところです。
しかしながら、美化するものでないと感じます。
この思想が人を狂気に駆り立てます。
今回、この状況の中で、新潟のフリーカメラマンの「大義」とは何でしょうか。
また、「名分」とは、どんなことだったのでしょうか。
大義が、「国民に今の現状を知らせる」ということなのでしょうか。
しかしながら、無謀ともいえる「節度」の無い行動は、「名分」とは言えません。
正義感の前に、職業倫理というものがあると感じます。
燃え盛る火事現場で消防士が他人の命を守るために飛び込んでも、そのジャーナリスト魂は火の中までご一緒しますか?
どこかで銃弾やナイフというものを軽視し、“殺意”を持った人というのが、一番の凶器であることを知らないとしか言えません。
殺しを“聖戦”と認識していることだけで、普通は身震いして当然なのです。
自分の尊い命を先ずは大事にして欲しいものです。
自分の親に頭を叩かれたことを思い出してください。
叩かれただけでも痛いのに、今回の場所は、戦地という狂気の修羅場です。
行かなければならないのは、自分の命を犠牲にする覚悟を持った、戦士という大義名分が備わっている人だけです。
行きたくなくても、国の絶対的命令によって命を捧げることが過去にあったのに、彼はフリーカメラマンの“何”に火がついたのでしょうか。
私は、“狂気”に火がついたとしか思えません。
自粛するべきです。
あなたが探るべきは(取材)、これらがすべてが終わった後の悲惨な歴史であり、これらを振り返り、過ちを二度と繰り返さないことの情報発信なのではないですか。
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