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2019年12月、中国武漢にて、新型コロナウィルスが発生中したことを我々は知った。
その時、いつもの不可思議なウィルスが中国の一部で蔓延する事があったとしても、日本までは飛び火しないだろう。
新型のインフルエンザウィルスなのかな?
その程度の考えで、あくまでも対岸の火事として捉えていました。
翌年の1月中旬、神奈川県で発症した報道があり、その後は豪華客船からの下船により拡大
その後は世界中に感染が拡大するも、WHOは中国よりの発言を繰り返し、パンデミック宣言を行わなかった。
このことが、取り返しのつかない要因にったのは間違いのない事実
その後、慌てるようにパンデミックだと知らしめても、それは余りにも遅すぎ、無責任とも言えるものであった。
この日本でも、3月から公共施設は制限を開始し、その後は各都道府県でも、緊急事態制限なる、稀に見る制限が発令されました。
入学式、入社式、新年会、とにかく、ありとあらゆる会合は「密」になるから自粛という、新しい生活様式がスタンダードになった。
そして期待していた東京オリンピック・パラリンピックは中止(翌年に延期)、映画館、演劇、遊園地までもが制限され、人々の楽しみが奪わた。
そのしわ寄せは企業の体力を削り、老舗が閉店、多くの企業が倒産するまで追い込まれ、日本経済が衰退
その後、経済優先、新型コロナウィルスと共存するスタイルがスタンダードとなり、GoToキャンペーンやイートまで国を挙げて打ち出し、経済優先の方策が開始されました。
しかし、第3の波が、誰が見てもわかるほど猛威を振るい、今、経済優先なのか、人命優先なのか、それを問われています。
人の痛さ、それはその人のみ知ること。
他人が心配すれど、その本当の痛みはわかりません。
新型コロナウィルスによる痛みは、心の痛み、身体的痛み、経済的な痛み
人によって痛さの度合いも異なります。
新型コロナウィルスが発生してから、来月で1年を迎えてしまいます。
全人類の英知を持ってしても、ワクチンが出来上がるまで、ほぼ1年かかりました。
何処まで通用するのか、それは定かでは無いものの、明るい未来が見えて来たのも事実です。
最後に…
この新型コロナウィルスによる1年は、失われた一年だったのでしょうか?
それとも、何かを得るための一年だったのでしょうか?
失われたものが多過ぎて、得るものが少なかったのか…
私は、新型コロナウィルスに感染せず、健康な状態を維持し、生きているという幸せと、生きることの厳しさを学びました。
明日やろう、明日出来るから、この単純で、当たり前のことが、贅沢で幸せなこととは、思いもよりませんでした。
良くも悪くも、前に進むことの大切さ、我慢の大切さ
このことを、考えさせられた一年でした。
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