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加減と自制心

2015年03月04日 | 社会問題

 

 

川崎市の多摩川河川敷で、僅か13歳の少年が命を奪われる事件がありました。

 

犯人はグループのリーダー格と他の2名による犯行とのことで、自白したことにより、犯行の動機や様子等詳細な事実が明らかにされようとしています。

 

誰とも知らない人から殺されるだけでも憤りを感じるのに、“仲間”から殺されたのですから理解することすらできません。

 

普通は、仲間を守るために自分が犠牲になるべきなのに、グループを抜けることが腹立たしくて、それが殺害の動機だったなんて残念でなりません。

 

自分の人格が劣っているから、他のグループに関心が移り、自分の存在感を高めるために、自分の兄が暴力団なんてことを自己申告する。

 

まったく卑劣な行為です。

 

少年法で加害者が守られても、社会的な立場では、残念ながら彼らは守られることはないでしょう。

 

冬の川で裸で泳がせられ、反省の色がないことから逆上して、カッターナイフで幾度も首を刺し、服をオイルで燃やす。

 

色々な思い出が入ったスマホまで奪い、何事もなかったのように毎日、警察署に任意同行されるまでテレビを観て、ゲームをして、食事をしていたのでしょうか。

 

残念です。

 

私達成人は、少年が喧嘩をしないように色々な場面で働きかけてきました。

 

それを「いじめ問題」として。

 

昔は、鉛筆を削るのに「肥後守」という切り出しナイフをみんな持っていたそうです。

 

 

それで竹細工を作る子供も居たそうです。

 

肥後守は、私も家にあったものを触ったことはあります。

 

それを通して分かったことがあります。

 

これは道具であって人を殺めるものではないということ。

 

竹や木が嘘のように削れます。

 

ただ、指先に何度が触れた時、血が出ること、痛いことをリアルで感じることが出来ました。

 

だから、人をこれで傷つけるということは大変なことになることを自然に学習したのです。

 

ヤクザ映画のように撃った、斬られたというのは映画の世界として理解することも出来ました。

 

しかし、どうでしょう。

 

現在は、過保護すぎる生活によって、親がなんでもしてあげる環境が整いすぎ、鉛筆削りなんて死語、ゲームの世界では「リセット」ができ、血が出ても痛くないので、血が出ること、殴られることは、ゲーム的な感覚になり、痛いという大切な感覚が失われてしまっています。

 

柔道、空手、ボクシング等は野蛮だという人が居ます。

 

ただ、彼らの多くは、これで人をどうしようかなんて考えることは次第になくなるのです。

 

なぜか。

 

それは痛いということ、危険だということを理解したからです。

 

怪我はしないほうがいいのは勿論ですが、怪我というものを知らないと、相手のことを思いやることもできなくなることが多いと感じます。

 

「強さは優しさに繋がる」ということを私の師匠から聞きましたが、それは今でもそう感じます。

 

弱い人は、何かに怯えているので、それを至るところで確認したがるのです。

 

だから適正な「加減」がわからず、その自制心のコントロールが壊れだすのです。

 

ただ、彼らを生み出したのは私達大人であることは間違いありません。

 

加減と自制心ということから目を逸らせば、第二、第三の過ちが続くでしょう。

 



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