昨日(平成23年4月7日、23時32分)また強い地震が発生した。
宮城県沖を震源とする、震度6強の「大地震」であった。
本来であれば、大変な出来事である。
しかし、これを「余震」と評価し、得意の「作業着」を政府は着用することはなかった。
余震の確立は本来10%の確立に引き下げられたばかりであった。
過去の経験地から導き出した、あくまでも確立に過ぎなかったのである。
さらには、ここ数年間、大きな余震が十分考えられると発表した。
学者はいい加減、気象庁の根拠は曖昧である。
私は、未知の経験地を日本国民がまさに経験している最中であると感じます。
素人でも、500kmにも及ぶ岩盤の滑りによる地震と聞けば、反発する岩盤や戻ろうとする力などで相応の力が働くことがわかる。
だから我々ですら仕事先では、「大丈夫」、「がんばって」等の言葉は、現在、禁句にしている。
「次回、元気で会いましょう。」、「気をつけてくださいね。」等の言葉に変えているのである。
この震災が実はこれから先の予兆で、今後さらに最悪な事態になっても、なんら不思議ではない緊迫した状況が現在も続いているからである。
震度3クラスの揺れが埼玉県でも11日以降、数多く発生している。
放射能が漏れて空気中を漂ったり、水道水から放射能物質が検出されたりと、非日常的なことが毎日のように、当たり前のように現在は発生しているのである。
こんな現状の中、私たちにできるのは、いつでも対応できるように心の準備と、家族が数日間困らない程度の最低の準備はするべきです。
それが出来なければ、他人を助けることは出来ません。
防災倉庫、防災の為の蓄え(個人、企業)は、必要の無い買い溜めだったのでしょうか?
その無駄な物が今、自分を助け、人を支援しているのです。
政府の言葉に油断しないで今一度、身の回りを確認しましょう。
国民全員が被災したら、誰もすぐには助けてくれません。
そんなことは絶対にないといえますか?
そういう神話がこの「人災」を生んだのです。
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