福島第1原発の復旧作業を担う作業員ニュースが最近になって取り上げられている。
これは、東電現地募集の一件で触れていたので投稿はしなかった。
酷だが、私たちが知っておかなければならないことは、誰かがやらなければならないと嘆くことではない。
この企業の失態で発生した事実と、被害を極小化する責任の下、実行しているという事実である。
下請け業者が生活のために仕事を請け、屈強に立たされていると報じられても、それはどこの企業も同じ。
今、他と違うことは、原発と言う「戦場」で奮闘していることである。
そこにベットがない。
そこに風呂がない。
そこに食事がない。
家に帰れない。
こんなことを真剣に心配してくれることについて、心が暖かいとは思います。
でも、東北の農家等の人たちの多くは、冬になると東京方面に土木現場等に出稼ぎに出掛ける事実を知っていて、そんな心配をしているのでしょうか。
収穫後から春の田植え頃まで、自分の家族とは会えない。
昔は、電話もほとんど出来ない。
風呂も満足には入れない。
寝るところも大勢のたこ部屋。
休みがない人もいます。(生活費を稼ぎたいから)
ベットなんか東北の人は、ほとんど使いません。
マグロ漁船は、そんなもんじゃないでしょ。
過酷な仕事に従事している人は山ほどいます。
その人たちのおかげで、私たちは食卓を潤すことが出来ます。
浮浪者が徘徊していても、汚い以外に殆どの人は、その感情が変化することが、ないのではないでしょうか?
一般生活をしている人たちから見れば、この光景が地獄なのでしょうが、異常事態が発生している現状からすれば当たり前の対応なのです。
私たちは、彼らに何をできるのか?
可愛そうに感じることではありません。
英雄として取り上げることではありません。
子供がいる方は、自分の子供に仕事の責任と社会に与える影響を伝えて欲しい。
この作業が終息できることを信じて欲しい。
彼らが先ずは無事に戻ってきて欲しい。
私たちは、現場に不似合いな不要物資を送ることではありません。
送り届けるのは、激励の言葉と感謝の気持ちだけで十分なのです。
自分が「何」をしているかは、自分が知っていれば良いことですから、ここ(ブログ)で伝えることは生涯ありません。
何をするかを自分で考えるのではなく、何をしたいという「心の気持ち」が重要なのです。
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