事件が何も無い世の中であって欲しい。
それは世の中の、みんなの願いです。
しかし、なぜ人は、いつ起きるのか不確かなことに対してまでも備えるのでしょうか?
それは単なる個人的な不安からでしょうか?
日本という国には、警察、消防、自衛隊等、我々国民の安全を守って頂ける機関があります。
不測の事態に対処する機関は、平和な日本で必要とされ、当然のように存在しています。
これだけでも安心なのに、更に自主防犯活動と対策を施します。
どうしてなのか?
これらの理由は至ってシンプルです。
何が、いつ、どこで発生するのか誰も予測できないからです。
1度確かに起きたけど、注意したからもう平気。
何も起きないから大丈夫。
何もなかったでしょ?
こんな理由が支持されたなら、民間警備のセコム、アルソック等は存在しなかったでしょうね。
何かが起きることを最大限に広げて想定し、起きた時にコンパクトにまとめて早期対処すること。
対処がシステム行動になっているので、被害を最小限に留めることが期待出来ます。
これが安全と安心の1つの根拠です。
物事を「一大事」と考えるのか、小さな事「小事」として考えるのかは自由ですが、残念なことに身勝手に小さく楽観的に対処した場合、想定の範囲は極めて小さい範囲となり、それ以上の問題には対処できないことが多いようです。
特に人の命が絡むことは、大事なことです。
だから対処する場合は「おおごと」になるのです。
私は常にそう思っています。
最悪の事態を一度も見たことが無い人は、それを無駄ということがありますね。
物事の対処は責任が伴います。
油断しないように互いに心がけましょうね。
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