大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと、
神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。れません。
今こそ私たち一人ひとりが、謙写真はカトリック高野教会の祭壇)
ほほえみはお金を払う必要のない
安いものだが
ほほえまれた者 相手にとっては
非常に価値を持つものだ
ほほえんだ人は何も失わないけれども
ほほえまれた人は
それによってずいぶん慰められる
フラッシュのように
瞬間的に消えるけれども
記憶には永久にとどまる
どんなにお金があっても
ほほえみなしには貧しく
いかに貧しくても
ほほえみの功徳によって富んでいる
家庭には平和を生み出し
社会では善意を増し
二人の友の間では友情の合言葉になる
疲れたものには休息に
失望したものには光に
悲しむものには太陽に
さまざまな心配事に対しては
解毒剤の働きを持っている
しかも
お金で買うことのできないもの
頼んで得られないもの
借りられもしないかわりに
盗まれないもの
なぜなら自然にあらわれ
与えられるまでは存在せず
価値もないからだ
もし あなたが
誰かに期待したほほえみが
得られなかったら
不愉快になるかわりに
むしろあなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際ほほえみを忘れた人ほど
それを必要としている人は
いないのだから
作 ロバート・バー
朗読 シスター渡辺 和子
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この詩はいろんな人が訳していると思いますが、
私は、渡辺和子さんが朗読している(たぶんご自分の訳だと思います)が
一番柔らかく心に残っています。
私もいつも「ほほえみ」を持つ人になって行きたいと思います。
特に、今の日本に(だけでなく世界中に)暗雲が立ち込めている
現状を見るときに、一人ひとりの小さな「ほほえみ」の光が
やがて暗雲をかき消す大きな光になるのではと思います。
まずは、一人ひとりの身近な「ほほえみ」の光から始めましょう。
「ほほえみ」は光です。
Michael
中京区神泉苑通姉小路下る
京都市内にはたくさんのお寺があり、中京区界隈でも小さなお寺が、数多くあります。この写真のお寺は自宅からそんなに遠くないところにあり、小さなお寺ですが、私がいつも気にしているのが壁に掛けられている「言葉」です。
よくこのお寺の前を通るときに書かれている言葉をよく読んでいます。
言葉は定期的に変えられており、読んでいてなるほどと思う言葉や、心に残る言葉などがあって、いつも楽しみにしています。
日本人は昔から言葉のことを「言霊…ことだま」と呼んで来ました。
本来、日本語はもっと綺麗な言葉だったのでしょうが、いつの間にか時代とともに言葉が変わり、今では人を傷つける言葉のほうが多くなって来たように思います。
最近殺伐とした世の中で、事件も多く何か大切なものを置き忘れているような世の中ですが、ここに書かれている言葉一つ一つを読んでいるとなぜか心が癒されるような気がします。
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紫雲山「来迎寺」
Nikon Coolpix P5100
道路沿い(神泉苑通り)の建物の外壁に黒板が取り付けてあり、そこに書かれており、定期的に書き換えられています。こう言ったさりげない言葉が多く、すっと自分の心の中に入ってくるようです。
午後4時34分(神泉苑通り三条上ル)夕刻の青空の中、薄くひこうき雲が。
途切れ途切れの雲で、やはり上空も気温が高いのか?それにしても快晴。
クラウドウォッチング…今日の空の様子をBlogに「空と雲のわたぼうし」