
日本食の夕べの翌日は、パリ郊外まで足を延ばす。
サンジェルマンアンレーに住むパトリックの家族の家に行くためだ。
今回のパリ滞在で唯一訪問予定のパリ郊外サンジェルマンアンレーに住んでいる家族の家だ。
この日は、マルメゾンというナポレオンの奥さんの家に行き、夜はナポレオンゆかりのパリのレストランに行く予定になっていた。
お昼前に家を出て、RERのA線に乗り、サンジェルマンアンレーに向かった。
いつものようにご主人のパトリックが迎えに来てくれていた。
今日の予定は、ナポレオンの奥さんの館、マルメゾンを訪問し、そして夕食はナポレオンゆかりのパリ最古のレストラン(カフェ)と言われている「ル・プロコップ」に行くことになり、今日はナポレオンデーになった。
まず彼らの家でお茶をいただき、バスクのビアリッツ出身の奥さんのシルヴィとバスク旅行の話をした。
彼女はアルバムを見せてくれ、地図で「この辺りに住んでいたのよ」と教えてくれた。
今もお母さんやおばさんが住んでいるそうで、時々訪れるようだ。
フランスでは、退職後や高齢になってから都会を離れ、海の近くへ引っ越しする人が多いそうだ。
ソフィーの両親も、ガンツジュニアの奥さんの両親も、海辺のアルカションというところに数年前に退職して引っ越したし、ミッシェル夫妻も地中海側へ引っ越した。
地中海や、大西洋沿岸に引っ越す人が多い。
若い時はセカンドハウスをもって週末を過ごしたりもするが、決して日本で言うところの「別荘」という高級なイメージではなく、「田舎の家」という感じで、都会の喧騒をしばし忘れるためだ。
コロナ禍において、このセカンドハウスを持っていた人は、そちらで生活する人(特に高齢者や退職者)は多かったようだ。
そのままそちらに生活を移した若いカップルもいる。ルイ君だ。奥さんのたっての希望で、幼い子供を育てる環境を優先したとか。もちろんルイ君の仕事面では簡単ではなかっただろう。
さて、大きく話がそれてしまったが、シルヴィは、笑いながら私に言った。
「バスクの人はアクセントがあるでしょ?」と。
ボルドーに住むアンリモルガンの姪のご主人のフランクも、ボルドーより南、きっとバスクに近いところの出身なんだろう。
私がすぐ分かったのは「パン」(pain)を「ペン」ということだ。つまり「ai」が「エ」に近く発音される。
そんな話をしながら、庭を見せてもらった。少しずつ手を入れて日本の庭を作っているらしいが、池には鯉もいて、「餌も日本の餌だよ」とパトリックは満足そうだった。彼は昨年ロックダウン中に茶室(と称するもの)まで庭に作ったようで、次の訪問でそこを見せてもらうのが本当に楽しみだ。
大きくなった息子のアルチュール↓
マルメゾンは彼らの家からすぐ近くだった。
こじんまりしていたが、中はさすがに素晴らしい調度品や絵画が飾られていた。
もちろんナポレオンに関するものもたくさん見られる。
そして、そのまま夕食の予定のパリへ向かう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます